高学歴しかし成果を出していない従兄弟。だけどコンプレックス無し。
学歴がどうあれ、コンプレックスのない人間には、この問題は全然関係なし。
外から楽しく読んでいます。
http://anond.hatelabo.jp/20070226113632
隅田川越えた東へ一度来て御覧なさい。
本当の東京はとても貧しいということが良く分かります。
自分の在所だから悪口ではないので念のため。
海賊版を使ってまで有名品に固執する奴って何なの?
代替が見つからないようなものならとにかく、ソフトウェアの世界じゃ、一般利用の範囲内なんて代替品なんて山ほどあるのが常なのに。
マイクロソフトオフィスとか言ってさ、殆どみんな表作ったり文書書いたりしてるだけでさ、関数さえ知らなかったり、オートフィルター教えてやったら感動してたり、馬鹿みたい。おまえそんなんで何が「オフィス使えます」だよ。私が「オフィス使ったことない」って言ったとき笑いやがったくせに、一般的な機能さえ満足に使えてないじゃない。データのやりとりしてるわけでもないし。海賊版にまで手を出して、何のためのオフィスだよ。Openoffice.org使えよ。おまえのやりたいことフリーソフトで全部出来るよ。
フォトショップとか言ってさ、殆どみんなレタッチやら彩色やらなんてしないでさ、ちょっとモザイク掛けてみて「こんなことも出来るんだ」だなんて馬鹿みたい。すごいねって言ってやったけれど、逆の意味で凄いよ。それだけの機能のために9万もかかると思ってるのかって、そんなんちょっとVectorあされば幾らだって出来るソフト見つけられるよ。PixiaだってGIMPだっていいじゃない。わざわざ写真屋さんに手を出す必要無いじゃない。
ウィンドウズとか言ってさ、殆どみんなどんなOSでも出来るような簡単なことしかしないでさ、<windows.h>さえ知らなかったり、Ctrl+Alt+Delさえ知らなかったりしてさ、MacやらLinuxって言ったら「ウィンドウズよりショボい」だの「ウィンドウズがあるから必要ない」だの言ってさ、馬鹿みたい。しかもさ、「右クリックが無い環境は不便でしょ?」だなんて言いやがる。どんな人の環境だって強制終了知らない人の環境より遙かにマシな環境だよ。おまえのやってることの何か一つでもウィンドウズでしか出来ないことを説明できるのかよ。んでいきなりexeファイル送りつけてさ、「解凍できないと困るので」とか言ってさ、何の嫌がらせだよ。dmgファイル送りつけたろか?
なんでこんなに学歴がコンプレックスになるのかというのを構造的に考えて見る。
1.高学歴、かつそれ以上の成果を出している人。結果は、成果であり、学歴は経過。よってコンプレックス足りえない。
2.高学歴、かつ学歴に勝てるだけの成果を出していない人。結果は、学歴であり、成果(社会貢献)は出していない。自分が、学歴以上のことをできている実感が無いので、名前負けしコンプレックスになる。また、これは院生博士にも多いと思われる。社会に出ていない又は、出てすぐの若い人に多い。
3.低学歴、かつ成果を出した人。学歴は、逆に「低い学歴でもこんな成果が出せたすごい人」となりコンプレックス足りえない。
4.低学歴、かつ成果を出していない人。高学歴がうらやましい。学歴の壁を目の当たりにする。実際は、学歴の問題で無くても、本人にはそのように見える。コンプレックス。
以上のようになるかと思われる。また高学歴、低学歴は本人の主観により決まる。要するにコンプレックスは、成果(社会貢献)を出せていない人の問題かと。まぁ、他人と比較してどうこうという時点で心理的には大変だとは思いますが。
「朝は足が四本あって、昼になると二本の足となり、夜には三本足となるものとは何か?」
「答えは人間である。人間は幼年期には這って歩くので四本足で歩き、青年期には立ち上がって二本足で歩き、老いては杖をついて三本足で歩くからである。」
謎かけにはまだまだ先がある。
この生き物は深夜になると4本足になり、手足を無くして床を這うようになった後、さらには動くのを止めてしまう。手足は丸まって、そのうち口と肛門とが臍の周囲に集まってくる。
棘皮動物であるウミユリは、岩に固着して一生をおくる生きもの。「花」の中心に口があって、U 字型をした腸管を経由して、同じ面に排泄孔を持っている。
食べられなくなった老人には胃瘻が入って、床ずれがひどくなってしまった人には人工肛門や膀胱婁がついて、摂食と排泄の穴は、お互い臍の近くに集まってくる。
手足や顔は機能的な意味を失い、臍を中心として丸まって、花弁のように胴体を取り囲む。ウミユリみたいに。
ウミユリ化した人は長生きだ。
栄養を注入するだけだから管理が楽だし、尿や便も全部上に出てくるから、オムツを交換する必要もない。
お金だって稼ぐ。一家4人の生計を支えているのが寝たきりのおばあちゃんの年金だったり。戦争遺族年金がつくと、パパなんかよりよっぽど稼ぎがよかったり。
学歴コンプレックスについての議論が「学コン」とのあやしげな略語(俺は大学への数学を思い出して苦笑いしかできない)まで飛び出すほど盛りあがってるが。http://anond.hatelabo.jp/20070223011440が源泉?
コンプレックスというのは非常に厄介だ。突き抜けた有名人になればコンプレックスを抱く対象にはならないが、同じコミュニティで対等に接している限り、劣等感を感じている者は、劣等感を呼び起こす対象に対して心穏やかにいられない。小学校の地元リーグで活躍する野球少年は、イチローに対して劣等感を覚えることはないが、年下の仲間に数値的な成績で負けているとしたら、これは劣等感になるだろう。コンプレックスとは少し違ってくるかもしれないが、すこし感覚はわかっていただけただろうか。
俺は大学を卒業してはいないので、社会の中で学歴コンプレックスを引き起こす存在ではないが、一流私大卒の新人が先輩社員に飲みの場で理不尽な皮肉などを言われている光景はよく目にする(ここではコンプレックスを抱く側とされているが、明治や中央は世間一般の大半の無名企業において一流大学であることを忘れてほしくはない)。
ところで、いわゆる超一流の企業においては、今度は学歴は全く問題でなくなっている。俺の経験では、高い成績を日常的に産み出している連中は、自信というような概念自体を忘れてしまっているように見える。学歴という感覚は無く、せいぜい初対面の話題として利用しているくらいではないだろうか。そこには林業関連の高校卒業?なんていうのも居たが、大学名を聞かれて「当然、東大ですよ。ウソです。チェーンソーの使い方を高校で習って大学は行ってないです」などと答えていた。特に面白い冗談だとは思わないが(毎度同じことを言うので身内の中ではオヤジギャグ扱いだった。まだ30歳に達していないが。)、そのような冗談の中でしか学歴の感覚が登場してこない。関心の対象は、いかに新しいものを生み出すかにしかなかった。ちなみに彼は、そのあと営業代理店業務を行う会社を立ち上げて独立し、しかしゆっくりと過ごしている。
高学歴であったり、高い能力を誇る人間は、コンプレックスによるやっかみや嫌がらせを避けるためにはこのようなコミュニティを選ぶしかないのだろうか。ある種の対人テクニックを身に着ければ(このような対人テクニックを総称して世間ではよく「謙虚さ」と呼ぶようである)コンプレックスの対象にもならずに過ごせるかもしれないが、そんなものを社会に出る前に得られる保障は無いだろう。大学でサークルなどに入れば先輩が教えてくれるものだろうか?会社内ですら、同じ学閥の先輩が後輩にそのようなスキルを伝授している風景は目にしないのだが。まぁ俺には最近の大学内での「意識の高い学生」同士の交流の様子はよく理解できていないので、多くは語れないが。
上に書いたような「コンプレックスの存在が希薄なコミュニティ」は、多くの場合特殊な場ではないかと思う。実力主義の中小ベンチャー企業でも学歴コンプレックスは明確に存在することが少なくない。職人業的な、極めて少人数の家族的なコミュニティか、もしくは突き抜けた実力を持つ人間が集まった企業のようなエリート集団にでも居ない限り、コンプレックスの意識を避けるのは難しいんじゃなかろうか。
ただ、後者のエリート集団に所属すると、今度はエリート集団自体が回りの他のコミュニティから「排他的」だとか「エリート」だとか言って揶揄されてしまう。確かに、コンプレックスを抱きうる常人があんなところ(俺が経験したのはせいぜい2社だが)に居たら、いくらか経験を重ねてしまっている場合は特に、一緒にやっていくことは難しいだろう。呼吸をするように物凄い仕事量をこなしていることを当然のように求められるから、普通はついていけない。俺も到底無理だったので「癒し系キャラ」役に逃げることでどうにか居場所をつくっていたような。なんであんなとこで働こうと思ったのか、いまではぜんぜんわからんw
コンビニで表紙につられて立ち読みする雑誌で「また外資系か」とか「ワーカホリックで人生楽しいの?」とか書いてるのを読むと、どちらもいろいろ大変だなぁと、余計なお世話だし「お前が言うな」なんだが、変な同情をしてしまうよ。
ちなみに俺自身は特別優秀でないし成果も全然出してないし、自分が落ちこぼれなのが当たり前だと思って生きてきたからコンプレックスは感じない。傲慢になろうにももともと何も誇れないので、そもそも「謙虚になる」かどうかという選択肢など無いような状態w
はてな匿名ダイアリー「返信します」に関連して。(http://anond.hatelabo.jp/20070225013332)
私は、上に掲げた文章の作成者は経験が豊富で博識であると信じる。
「もちろんあります。いや、違うかもしれません。本当の意味で考えたことはなかったのかもしれません。」というような、議論の中で、レトリックに隠しながらの相手を慮った譲歩を行うことによって議論を紛糾させないように配慮している。
他にも、「ある意味では正しいのかもしれません。でも、当時わかっていなかったことがあります。」という表現や、「私見ですが…」「…は二つあります。…の双方です」「このうち、whatは…。一方で、howの方は…。しかし、…。そして…、…するためには、…がどうしても必要です。」「私には、…。確かに、…かもしれません。…からです。しかし、…と思います。」といった論理接続詞の丁寧な付加、論理的事実と自分の思想との書き分けには、よい意味でのアカデミックな知性を感じる。
このような文体の癖は、中立的に物を語ろうとしている意識を感じさせる。もしくは、もう体にしみついて無意識のうちに出ているものかもしれない。自分の主張、相手の主張、どちらの根拠にも触れることで議論に出てくる論理をきちんとなぞっていく。相手の主張の根拠を無視して自分の論理を展開することはない。
彼はこのあと持論を展開しているが、その中でも「自分の思い込み」を「客観的な事実」であると誤読させないような言葉遣いを心がけているように見える。様々な立場の論理を検証しているからこそ、「単純な話ではない」ということができる。
ただ、彼の主張(…だと思う、だとか、…ではないでしょうか、などの表現が用いられている部分)と、トラックバックによる反論群を見比べてみると、、、以下は印象論や私見にしかならないのでここに書くことは避けておく。
http://anond.hatelabo.jp/20070225170702という文章も発見した。
「持つべきプライドと不合理なこだわりを区別すべき、というようなことが主題のつもりです。」なるほど、主張の根幹がここにあったわけか。どうりで。…以下は、ここに書くことは避けよう。わかりやすい言い切りが一概に良いものだとは言い切れないと、私は思うので。
日本で生活する限りにおいて、国債の破綻は自らの破綻を意味する。
日本が破綻した時に海外に脱出する資金としてはお勧めできない。
逆に、普通に日本で暮らす際の資金としてはリスクが低い、ということだな。
そういう(やばいときの)資金が欲しいなら、金(地金)にしておくといいと思うが。
ただし、金は平時においては目減り覚悟の商品だよ。
最近また値上がりしているらしいけど。
どーぅすりゃ自由になるかはぁい
たぶん投票なんてしねえけどな俺は
このへんを超えるインパクトがある奴が出てこなきゃ選挙なんか行かねえよ。
追記
↓ちょっとなにこの検索機能↓?
ちょ、増田なんて掃きだめだろうがww
できるからって、やらない。
にゃー…
法的にはともかく、運用的には「勝手に自殺する自由」は無いよ。
自殺予告がネットに書いてあったら、裁判所の令状が無くても人命救助のために警察に会員の個人情報をおしえることになっているし。
あと個人的には、自殺する事でまわりにかかるコストをあらかじめ手配して支払っておくんなら「自由」を口にする権利はあるかなぁと思う。当然、コストには精神的なものも含むよ。
AnonymousDiary(以下、増田)って何なの?
自分がマジメになってダラダラと長文書いて、ブクマが数名でも付いてたらやっぱ嬉しいものだって事を実感して。
まあ、これまたブログと同じような自己顕示欲と自己承認欲求の充足(某氏の言うところのインレテクチュアル・マスタベーションというヤツか)なのかも知れないと思ったのだけれど。
あと匿名性による自己保身ってのが加えられても良かろうかってのをちょっと思う。
増田の捉え方は人それぞれ違うものだと思うんで、私A(キャピタルエイとでも呼んでおこう)の場合。
"マジレスカコワルイ"と言われようとも"釣りだ釣りだ"と言われようとも、ある事柄に対する自身の反応というのは素直なもので。自身の素直さを尊重しつつ、それを匿名性を利用して書いてみようってのが、Aの認識する匿名ダイアリー。
匿名性という観点から言えば。「Aのブログ」(匿名ダイアリーではなく、はてなダイアリーの方で)を書いているAがいる。そのAが誰だか知らないという人も「Aのブログ」を読んでくれたりするのかも知れないし、一読したぐらいではAの素性について分かることはあまりないのかも知れないけれど。Aこと自分自身この私は「大抵のウォッチャーはAについての同一性認識を持っている」という認識と、「対外的に言って良いことと悪いことがある」という自明の理と、少々の常識と、多少の自意識を保持した状態で「Aのブログ」を書いてる。だからといって、「Aのブログ」にAのホンネが書かれていないかというとそうではないのだが、それでも外向けに書かれたものだし、完全に自己の内側に向けて書いているのなら公開する必要は全く無い。寧ろすべきではないとも思う。
そういう場に増田ってものがあって、匿名性を利用して言えることもあり。
頻繁に(というか、常時)繰り広げられている不毛な無限ループの議論(やりとり)をあれやこれやと見かけるにつけ、結局、増田は2ちゃんねると存在はあまり変わらないのかも知れないと思い。けれど長い文章が書けるので、うだうだとホンネを書き連ねることが出来るってことは、ちょっとした思いつきだけでは書かないだろうと期待してみたりもして。で、条件反射的なレスではなく、匿名性を持ちつつも、それに応じる個々人の意見ってものがあって。その期待はそこそこ当たってたり。
まあ増田で交わされるやりとりに何か生産的なことはあるのかと問われてみれば、恐らく無いんだろうけれど、それは増田に限ったことではなくて、大小問わず種々の掲示板やブログのコメント欄においても同様だと思うし。勿論、このエントリーも言わずもがな。
段落構成も、丁寧な文章を書くということも、そもそも文章を書くということすらも殆ど考えずに只管書き連ねてみたが。
増田は、個々人の欲求の充足に対してそれなりの場を提供しているのではないか。けど別に増田である必要性ってのは不見当。このエントリーは不毛だが、Aはこのエントリーを書くことで軽い充足感を得た。ぐらいが書き終えて思ったこと。