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2019-11-09

敗戦直後の日本を美化したアメリカ製ゲームってあるのかな

韓国人日本統治時代に抱く感情について考えてみたのだが、占領期~50年代米軍の振る舞いについて日本人が抱く感情がそれにかなり近いのではないだろうか。

良く知られていることではあるが、敗戦後の日本には現在沖縄のように米軍基地があちこちにあり、各地で米軍兵士が軽ふざけで日本人殺害していた。

そのような時代背景を無視して、アメリカ会社敗戦直後の日本を美化したゲームを売り出したらムカッとする日本人も出てくるだろう。

いま韓国で怒っている人たちがいるのはそのような理由からだと思う。

1957年昭和32年1月30日、薬莢を拾う事を目的に演習地内へ立ち入った日本人主婦(当時46歳)に対して、主婦の背後から第1騎兵師団第8連隊第2大隊ウィリアム・S・ジラード三等特技兵(当時21歳、イリノイ州オタワ出身[1])がM1ガーランド装着のM7グレネードランチャーで空薬莢を発射し、主婦即死する事件が発生した。目撃者証言からジラードが主婦に「ママサンダイジョウビ タクサン ブラス ステイ」と声をかけて、近寄らせてから銃を向け発砲した可能性があることがわかるとアメリカへの批判の声が高まり社会現象となった。

ジラード事件 - Wikipedia

当時茨城県にあったアメリカ水戸対地射爆場(現・ひたちなか地区から離陸したL-22連絡機が上昇せず、滑走路東端から500mはなれた道路自転車走行していた親子に機体が接触し、母親(当時63歳)は胴体を切断され即死、息子(当時24歳)も腹部に重傷を負った。

この異常な離陸についてアメリカ軍側は異常高温による熱気流が原因の不可抗力による事故であるとした。しかし、地元ではアメリカ軍のパイロットがわざと低空飛行を行い通行人を驚かしていたことが度々あったと主張し、今回の事件は同様なイタズラをしようとして不幸な結果を招いたとしていた。

米軍機母子殺傷事件 - Wikipedia

事件は1958年9月7日に起きた。狭山市などにあった米軍ジョンソン基地(78年返還現在航空自衛隊入間基地)で、警戒監視任務に当たっていた3等兵=当時(19)=が基地内を通過する西武池袋線電車に向けて発砲。1両目に乗っていた武蔵野音楽大の男子学生=当時(22)=が被弾し、死亡した。3等兵の名から「ロングプリー事件」と呼ばれている。

電車に発砲…米軍事件相次いだ本土 沖縄に基地集中、進む風化 | 共同通信

 
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