才能の民主化って言ってる人が叩かれまくってるらしいけど、何らかの技術には努力量による差が認められるべきだと思ってる人が多いんだなって思う。
ええやん。努力せずに憧れが手に入るなら最高やん。我慢ってそれそのものには意味ないし。
努力の過程を楽しめないならその程度のものだったんだ。好きと憧れは違う。
努力なくして技術を手に入れてはいけないのなら翻訳アプリも使ってはいけませんねぇ。
まあ機械翻訳じゃまだ雑な部分もあるし、正確なニュアンスを伝えるのも難しいだろうけど。それなりに知識がなきゃ翻訳結果が間違ってるのか正しいのかも分からんし。
絵も音楽も然りだろうし、(こっちには正解も正確もありませんが……)そういう事なら変な叩き方せずにそう言えばいいだけええやん。別にわざわざ言う必要ないけど。
民主化というよりは均質化とかの方が近い気はする。
人の絵を勝手に学習させるってのが著作権違反っていうのも微妙じゃねって思う。
特定の一人の作風をパクるならともかく複数から学んでいくのもダメなら、それはもう他人の作風の影響を受けてはいけないって話になるし。
人が手を頭を動かしながらやるのは良くて機械がやるのはダメとか言ったら、もう公立小中学校の謎風習みたいな感じになる気がする。ヌクモリティがないのでダメです。
じゃあ社会のルールが常に公立小中学校の謎風習とは違ってきわめて筋の通った合理的なものかと言ったら別にそうでもない気もするけど。