特定の国債活動団体が「教育に力を入れています」と言うと不安になる。
なぜかというと、教育には「悪い」ものがある可能性があるからだ。
先進国が「もっともっと」を追求して文明が環境を破壊している。その基準で教育したら新たに「悪い文明」が開花してしまう。
もちろん、トイレやゴミの問題を解決して「良い文明」を育むのは良いだろう。
しかし教育によって「文明の強化による経済的利益の向上」「特定の国々との政治的関係強化」「(これはないかもしれないが)ナショナリズムの醸成」など政治的利益の為に教育が行なわれたらと思うと、やたらに支援できないと思うわけだ。
良い教育、良い文明とは何か、真剣に考える時間はあっただろうか、あるいはそれら全てが複合的に考えられた上での「教育」だろうか。
先進国の基準で文明を導入するのでは駄目だろう。その国の人にとって真に幸せな教育とは、先進国の政治的事情に影響を受けないものであるべきだ。