2021-11-11

シェアしない文化の定着を望む

何人かで飲みに行くと料理は当然みんなでつつき合う。シェアして当然の文化がある。これが微妙に嫌だ。

汚い、というより分ける感覚が苦手だ。食べたいものはたくさん食べたいがあまり好きではないものは手をつけたくない。

今、こういうご時世だからシェアする文化は廃れてくれないだろうか。

現状は多くの飲み屋メニューは一皿で2人くらいでシェアする前提の量になっているものが多いが、これをもう少し少量にして個々に頼むスタイルになっていかないだろうか?

古いエッセイを読んでいると、「男3人で飲みに行き枝豆焼き鳥をそれぞれみっつづつ頼んで」といった表現があり、昔は食べたいもの個人で頼んでそれぞれ食べていたと思われる。

また、これは居酒屋バイトをしていたときに知ったのだが、外国人グループシェアして食べる文化がないようだ。5、6人で来てそれぞれが「えだまめ」「サシミ」「ポテト」と言ってオーダーしていく。料理は頼んだ人の前に置かれその人が一皿独占する。ちなみに会計の際はワリカンなどせず自分が頼んだ料理ぶんだけそれぞれが支払っていく。

こう考えると飲み屋でみんなで料理をつつき合う文化はいから始まったのだろう。最近なのではないだろうか。(最近と書くと30年前は最近じゃない!とかうるさいことを言う奴がまたいそうだが)居酒屋チェーンが台頭して、若者居酒屋に入りやすくなってからではないだろうか。

ぜひシェアしない食事風景を考えてみて欲しい、とても自由だ。

注文の際にいちいち揉めたりしない。これは3個入りでメンツは4人だから、えーと2皿頼んで2個は半分に分けようか、とか、焼き鳥は人数分頼もうか、いやでもレバーはそんなにいらない、タレでいい?皮は塩だろう、とか、そういうぐだぐだが一切無くなる。

おれはだし巻きとつくねをたれで!わたしは海サラダの小とポテトフライ!きっぱり、はっきり、すっきり迷いなしなのだ。

また、残りひとつになってみんなが遠慮して誰も手をつけなくなった冷めた唐揚げ、なんて悲しい子を無くすことができるのだ。

少しずつ食べたいかシェアしたい勢もいただろうが、衛生面、感染対策上と言えば彼らも黙るだろう。

食べ物シェア文化の壊滅はまさに期をじゅくした。

飲み屋各位、飲んべえ各位、ぜひ賛同していただきたい。

  • おせちがお重ごとに同じ内容ってのを試みているようだよ 昔は一つのでかい皿に詰め込んでみんなでシェアしていたけど、コロナ禍もあってひとりづつ少量を同じ種類だけ食べられるよ...

  • 自分が食べたいものを食べるは大いに酸性だけど料金支払いの煩わしさがネック

  • これは主に店側の都合では?小さい皿で何皿も頼まれるより一つのさらにより多くの料理を盛れたほうが色々と都合がいいということで。

  • 遠慮のかたまり、とか関東の一つ残しって言葉があるくらい、 食べ物のシェア文化は多分、かなり昔からだろう。 シェア文化すべては否定しないが、 遠慮のかたまり、といって残飯を...

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