https://togetter.com/li/1772323
「セクシュアリティは社会的に構築されたものである」かどうかと、「セクシュアリティを人為的に矯正することが許される」かどうかは、全く別の議論よな。
もう少し根本的なことを言えば、「社会的に構築されたものである」かどうかと、「人為的に操作可能」かどうかは全く別の議論よな。
ホモ・サピエンスの生活共同体を社会と呼ぶのであれば、社会もまた自然現象でしかない。不確定性原理によってラプラスの悪魔も既に死んでいる。そもそも、自然現象のコントロールが「物理的に可能」であるかどうかと、「現実的に可能」かどうかは全く別だ。自然現象を無理やりコントロールするというのであれば、それなりの「コスト」を支払う必要がある。「コスト」は、必ずしも努力や根性で補える代物ではない。
フランシス・ベーコンは「実験」なるものを「自然を拷問にかけること」と表現した。現代においても医学や心理学など、人間を対象とする実験は様々な場面で必要とされる。少々乱暴な比喩だが、「人体を拷問にかける」以上、倫理的にも細心の注意を払う必要がある。実際、ほんの数世紀前を調べれば、実験の恐ろしい暗黒の歴史をいくらでも見ることが出来る。人類を1歩前進させるはずの研究が、人間を虐待することがあってはいけないというのは、近代以降たくさんの血を流してきた反省があってのものだ。
そのように人類が培ってきた倫理観を、どうか社会学的な知識を行使する時にも応用して欲しい。
でも性欲抑制薬には賛成ですね。
経済も自然なの?