2021-09-11

https://togetter.com/li/1772323

セクシュアリティ社会的に構築されたものである」かどうかと、「セクシュアリティ人為的矯正することが許される」かどうかは、全く別の議論よな。

もう少し根本的なことを言えば、「社会的に構築されたものである」かどうかと、「人為的操作可能」かどうかは全く別の議論よな。

ホモ・サピエンス生活共同体社会と呼ぶのであれば、社会もまた自然現象しかない。不確定性原理によってラプラスの悪魔も既に死んでいる。そもそも自然現象コントロールが「物理的に可能であるかどうかと、「現実的可能」かどうかは全く別だ。自然現象を無理やりコントロールするというのであれば、それなりの「コスト」を支払う必要がある。「コスト」は、必ずしも努力根性で補える代物ではない。

フランシス・ベーコンは「実験」なるものを「自然拷問にかけること」と表現した。現代においても医学心理学など、人間対象とする実験は様々な場面で必要とされる。少々乱暴比喩だが、「人体を拷問にかける」以上、倫理的にも細心の注意を払う必要がある。実際、ほんの数世紀前を調べれば、実験の恐ろしい暗黒の歴史いくらでも見ることが出来る。人類を1歩前進させるはずの研究が、人間虐待することがあってはいけないというのは、近代以降たくさんの血を流してきた反省があってのものだ。

そのように人類が培ってきた倫理観を、どうか社会学的な知識行使する時にも応用して欲しい。


でも性欲抑制薬には賛成ですね。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん