2020-07-17

映画評論家は全く偉くない

彼らは何様のつもりなのでしょうか。

彼らは制作者たちより「自分の方が賢い」と言いたいのでしょうか?

評論制作ではかかるエネルギーが全く違うと思います

世間一般に出回っている評論の特徴として「よく練られた脚本」「素晴らしい演技」

どちらも大事だと思います

ですが、演技と脚本がすべてではないのもまた事実です。

映画は観客に提供される前に様々なプロセスを経ています

演技も脚本あくまで素材の一つであり、我々観客の前に辿り着くまでカメラマイクを経由し、編集室でのポスプロを経て提供されます

また、同じ役者が客の前で芝居をする脚本のある見世物でも舞台と違い、映画の演技はリアルタイムで目の前で繰り広げられているものではありません。

監督がどんな画を撮ってどんな風につなぎ合わせるかを考えた上でバラバラに撮ったもの脚本上の時間軸に直して提供したものです。

この時、監督繋ぎ方や絵のつくり方を誤ると、演技と脚本という素材は台無しになりますし、監督が上手くやれば50点の素材が90点まで加点される場合もあります

(勿論、録音や撮影商業作品に耐えうる技術水準をクリアしているのが必要最低条件です。)

世間映画評論家が演技と脚本のことしか書かない理由、それは単純に知らないからだと思います

演技と脚本のことは見ていれば誰でもわかります

評論は誰にでもできてしまう手軽なパフォーマンスです。

故に書いていると自分が偉くなったような気がしてしまますが、評論家はまず作品を作る人が居なければ成り立ちません。

儚い蜃気楼のような存在です。

自戒も含め、謙虚真摯でありたいし、世の映画評論家にはそうであってほしいと思います

  • こういう話は進撃の巨人で決着ついたでしょ

  • 映画の場合、クソ映画を見てしまうと2時間無駄になるから その時間の無駄を防ぐ意味で、映画評論家の役割は重要

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