先に言っておくと、私は別に声豚という訳ではない。
好きな声優はいるが、だからといって声優出演がメインのイベントに行くわけでもない。
ただ単に好きなキャラの声を当てる確率が高かったりとか、単純にツイートが好きだという程度のものだ。
なぜ、世の中の腐女子は2.5次元のミュージカルや舞台をありがたがるのだろうか。
私にとってキャラとは、その外見・性格、そしてその口から発せられる声によって成り立つと思っている。
同じ顔、同じセリフでも声を当てる声優が誰かによって、そのキャラはがらっと変わるだろう。
なのになぜ、2.5次元の舞台やミュージカルをありがたがるのか。
確かにキャラの新たな燃料にはなるかもしれない。知らない関係性を知る事も出来る。
だが、私にとってそれはキャラのコスプレをしたものであり、キャラ本体ではない。
顔面は2次元を3次元に繰り上げるのだ、そこはもう仕方がない。
でも声ってもうどうしようもないだろ。どうしようもなくないのか?
たとえ似た声質だったとしてもそれはキャラの声とは違う。
声ってそんなに重要ではないのか?キャラを構成する重要なものの一つではないのか?
もし、舞台演技自体は舞台俳優がやって、声は別撮りで本家本元の声優がやってくれるものならば、私だって喜んで観に行くだろう。
顔面が違うのは、ちょっとリアルに寄りすぎた作画なだけで、動きはぬるぬると迫力あるしそういうものだと納得出来る。
でも、声が違うとまったく別のキャラに見えてしまいそうで恐ろしい。
特に昨今の舞台化ラッシュはなんなんだ。濫造されすぎていて、その分クオリティも残念なものが多いと話題になっている。
好きな作品が舞台化すると聞いて、果たして自分はそれを観に行った所で違和感を拭えず楽しめないのではないかという懸念ばかりが大きくなる。
元々声のあてられていない作品ならば、きっとこんな事思いもしないでありがたがっていたのだろう。
これを読んでくれた人に聞きたい。
機械学習の練習でなにかできるかも 今後見つけたら追加しておこう anond:20181024123612 anond:20181023012212 anond:20181022232215 anond:20181020052655 anond:20181018234902 anond:20181018020657 anond:20181015175844 anond:201810...
充実してきたので再投稿 anond:20181025073952 anond:20181025032815 anond:20181025021304 anond:20181025001433 anond:20181024231811 anond:20181024123612 anond:20181023012212 anond:20181022232215 anond:20181021012503 anond:20181020052655 anon...