2018-09-22

結局、批判するだけの野党と同じ批判するだけの石破が出てきた

そうだろう?

https://www.sanspo.com/geino/news/20180920/pol18092011580003-n1.html

健全批判勢力必要らしい(笑)

野党批判人間って総括が必要なんじゃないの?

あれだけ対案を出せない野党クズ!って行ってたのに

対案を出せない石破はいいのか?マスコミも持ち上げてるけど。

石破と安倍の討論をテレビで見たけど、石破の意見安倍プラスアルファみたいな感じで

安倍に足りないところがあるみたいな意見だったけど、必要なのは別軸を語れる人間でしょう?

これは歴史の流れなんだと思うが、野党という批判するだけの勢力を含み、私達は健全批判勢力として肯定している。

対案なんて必要ない。私はあなたとは違うといえる人間がいればいいだけだ。

それは単純な批判だけでも成し遂げられるということだ。

そして野党がしょぼくなれば、自民党内部に批判するだけの勢力が生まれ

その批判するだけ人間政権を取る。それは民主党の時と一緒だ。

で、別にこれは悪いことではないんじゃないか

私はあなたとは違うということから出発すれば、それは別の軸に移動する必要性が生まれるだろうし。

現時点で対案がないことが、悪いことではない。

それは批判するだけでもいいってこと。別の案がなかったとしても。

もちろん、この過程にある種の薄っぺらさを感じる。

批判からまれた対案というのは批判ありきだからだ。

しかし、考え方を変えれば批判とは、私はあなたとは違うという標だ。

そこからまれた対案は、新しい対案になることは間違いない。

しか問題は、マスコミ一般市民などの批判勢力になる。

マスコミ市民は私はあなたとは違う、ということを永遠にできる。

別軸に移動する必要性がない。

それは反自民でずっとやってきたと述べた報道ステーション古舘伊知郎のように。

そして私達、市民も別軸に移動する必要性はない。

そんなことを考える意味もないし、必要もないからだ。

  

言い直そう、つまり批判するだけという問題野党ではなくマスコミや私達、市民にある。

対案が必要なのは野党ではなく私達だ。

それは対案を考えるという意味ではない。対案を欲するべきだということだ。

(ここでツイッターなどで政治議論されている方は当然除く。彼らは誹謗中傷さらされて別軸に移動する必要性があるかもしれない。)

私はあなたとは違うということが必要なのか?という疑問はあると思う。

なぜ健全批判勢力を求めているか、というのと同じ答えになると思う。

同じ人間であるなら、権力構造従属するしか無いということがある。

それは学校でもそうで、ヒエラルキーが決まると、上の階層人間意見を出しまくるが、下の階層のもの意見がまるででなくなるのに近い。

そして、それは今の安倍政権でも起きたことだと思っている。

次に同じ人間なら批判する必要性もないということだ。

自己批判ということはできると思うが、同じ人間ということで適用できるわけではない。

同じ人間ではあるが、批判するだけで別の人間になってしまうぐらい弱い論理的な繋がりにすぎない。

しか自己は違う。私自身を批判した所で、私でなくなるというぐらい弱いものではないのだ。

批判がないのなら、それがいい事か、悪いことかの天秤もなくなってしまうだろう。

こういった点で、私とあなたは違うということが必要だと考える。

  • “ヒハンなき政治”がお望みか 今井絵理子でも支持しとけ馬鹿

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