そういうのが自己責任なのか社会のせいなのか、俺に正解はわからないけれど、仮に社会のせいであるっていうう風に納得したからって、自分の生活がマシにならないことはわかる。のでWebなんかでも「その環境をどうにかするのは自分で頑張るしかないだろ」とコメントすると、「お前は自己責任教の回し者か、死ね悪魔!」的な返事をもらうわけなんだが、本人はそんな教派を信仰してるつもりはない。少なくとも社会は無謬だなんてまったくおもってない。
ただ目の前の都市生活サバイバルな現実として、自分を救えるのは自分でしかないんじゃね? それが正しいかどうかは横に置くとして。っていう話だ。「いいや横に置くなよそれこそが一番大事だろ!」っていう人もいるかもしれないけれど、腰をすえてその問題の答えを出す前に、サバイバルな人は時間切れで死んじまうのではないか? 考えるためにも目の前の食費だの家賃だの学費だのを稼がなければならんのではないか? 言いたいのはそれだけなのだ。
現実追認ってのは思想的な怠慢だとフルボッコにされるんだが、現実を追認せず否定して、哲学的な、あるいは社会正義的な話をこねくり回せるのは、その人に食うには困らぬ資産があるからであって、そんなブルジョワの趣味みたいなものを世間に巻き散らかすなよとも思う。
多くの庶民はそういう状況を追認するもしないもなく、テトリス的に、上から降ってくる仕事やトラブルを、ずっと掃除しながら生きていかなくてはならないのだ。
わかりきってること言われてむかつく気持ちってわかりません?
たとえどんな結論が待っていようと一人で抱え込んで悩む必要なんてない。 他人の力が必要なら声を上げて助けを求めるしかないじゃない。 そもそも問題提起しなければ何も始まらない...
稀に降ってくるボーナスアイテムは全力で取りに行け
『自分を救えるのは自分でしかない』といいつつ、目先のことばかりかまけて自分を救う素振りもみせないというパラドックス。