自分たちの権利が社会的に抑圧されていると思ったら活動するのは真っ当なことで、フェミニストはその意味で十全に活動しているだろう。
そこに相乗りさせてもらえずに嘆くばかりの連中が弱者男性だと言うのなら、それこそ遺伝的に淘汰されてしかるべきだ。
フェミニズムが弱者男性に敵視されるのは、結局フェミニズムが強者男性との取引に見えるからだと思う。
フェミニズムで女性は強者男性から権利を与えられ、強者男性は「女性に優しい強者男性」と見なされてモテることができる。
フェミニズムがそれなりに実効性を持ててきたのは、割とこの構造に負っている気がする。
(弱者女性については、男性フェミニストはどんな女性にも優しくあるべきという規範が強力なので、多少恩恵に預かる)
(弱者男性に優しくする規範は男女ともに脆い。男性フェミニストはいかがわしい男から女性を守るという規範もあったりして、架橋できない)
フェミニズムのこういった構造から抜け落ちているとはいえ、弱者男性の問題は女性抑圧よりも本質的な、ジェンダーだけの問題ではないと思う。
キモくて金のない人格破綻した中年女性という人もやはり存在するだろうし、ほぼ弱者男性と同様の問題を抱えている。
この問題はフェミニズムというより実存主義の問題で、実存主義を超える男性哲学がまだ生まれていないことによる問題だろう。
誰にも愛されず評価されず、大した楽しみも目的もなく、ただ時間だけが過ぎてやがて遺伝的淘汰を迎える。
それでも良いという世俗的な言い訳は叩き潰されてきたし(「家族」「村」「国家」「会社」「共産主義」)、新しい言い訳はまだ見つかっていない。
淘汰されるべきだ と言われて淘汰されるほど愚直な人間はいないよ 一人で死ぬくらいなら共倒れの方がマシだろう