2015-04-30

すぐ隣で誰か死ぬ

正義の為に人は、人を殺す。

権力を持った革命家馬鹿であることはあまりない。

頭が良いから権力を持っている。

所詮、個人の力や、単純な金の力だけでは、

権力を築けないから


彼らはなぜ人を殺すのか。

戦争をするのか。


それは、

今すぐそばで同志が死ぬからだ。

銃で撃たれて死ぬのではなく、

ナイフで刺されて死ぬのでもない。


同志は、

圧倒的な自由主義によって、

絶望的な格差によって、

平等とは程遠いパワーバランスで、

経済政治で殺される。

東南アジアにてTシャツを量産し、

先進国ファッションを満たしたとしても、

圧倒的な為替の差、

圧倒的なビジネスモデルの偏りで、

ファーストフード店で1時間も働けば1つのTシャツを手に入れられる先進諸国の人々と相対して、

彼らは1日中働いてもそのTシャツを手に入れられるかどうかわからない。

出来上がった格差の元に、

目の前で同志が死んでいるとしたら。

富は更に強固な富を作ろうとする。

その格差をもはや正攻法では塗り替えられないとしたら。

彼らは戦争という革命を選んでしかるべきではないか。

勇者よ、世界を半分やろう、仲間にならんか。」

それでも勇者は断った。

正義の為に。

半分でも断るんだよ。

今、先進国が、

発展途上国提示している条件は、

半分どころか数分の一か、数百分の一か。

そんなもの、当然に断って断固革命を目指すだろう。

これは、グローバリズムの片りんだ。

暴挙(だと思われる行動)を起こす人を馬鹿だとみなすことは、

そこで思考の停止を生む。

なぜ起こすかを深く考えて、

その背景をたどらなくては、何も解決しない。


何も解決をする気の無い人々に操られれてしまう。

すぐ隣で誰かが死ぬという想像力を以て、

このグローバル社会を生きなくては、

隣にいる最愛の誰かを自分の手で傷つけてしまうことになる。

大きな力にはあらがえないが、

大きな力の中で自ら考え、自ら行動することはできる。

から

しっかり考えよう。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん