2014-11-04

ふと、なんらかの災害でみんな帰る場所を無くし学校体育館に寄り集まってる場面を妄想した。

そしてその妄想の中で、ある人は家族が、ある人は友人が、ある人は恋人がそれぞれ迎えに来てくれて、体育館から消えてゆく。

俺とあと数人は、誰の迎えも来ないまま、出来上がった仮設住宅に押し込まれてゆくんだ。

家庭の事情で帰る実家もなければ、できたと思った友達は決して長くは続かず、それぞれのタームごとに断絶している。

どこに旅行しても、暮らしてる家に戻ろうとも、何年も住んでる街に戻ってこようとも、どこかここは自分の居場所、安堵を伴うホームじゃないと感じる。

家財道具全部このままにして明日から別の都市に住まなければならないとしても、ほとんど名残惜しさといったものは感じないだろう。

俺はこの調子で昔から孤独だったから、趣味と呼ばれるものには片っ端から手を出した。

結果様々な種類の趣味を会得することができ、一人の時間は嫌いではなくなった。しかし寂しさは拭いきれない。

俺の居場所インターネットだと思っていた。

人は居場所提供しなおかつ迎えにも来てくれるが、趣味は居場所提供すれども迎えには来てくれない。

まれ持った人生受難呪いつつ様々な努力をしてきたが、終ぞ真理を見つけてしまったような心持ちになっている。

1日に90人と言われる自殺者をただのデータ上の遠い存在と捉えていたが、その仲間となる日もそう遠くはなさそうだ。

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