今日の仕事中、工場のライン作業をしてるときに、ふと、「自分って求愛行動してなくねぇか?」と思った。
特に最近は、日常生活において、ほどよい「異性」もいないし、いても同僚の40代から70代のおばさんだけだ。
たぶん、(同年代くらいの)ほどよい異性がいたとしても、僕は異性に対してのアプローチ(求愛行動)をすることはないんじゃないかと思う。
「求愛行動」としては、自分はなんか特別しなさそう。…ライン作業中、そんなことを考えてました。
僕は、異性との出会いを求めているわけでもなく、恋愛することが目的の恋愛をするつもりも一切ない。
自分の人生において、特に最近はホント、「異性」を意識していないんだ。
無意識的にカッコつけているかもはしれないよ?分かんないけど…。
とにかく、「特定の誰かに向けてのため」っていう行動が本当に無いわけで、「生物としてこのまま求愛行動をしないまま一生を終える気か?」と頭をよぎった。
だけど、僕の考え方的に、「”愛”あるレベルの高い人は、求愛行動をする必要はなくないか?」とも思って、
僕が思う「レベルの高い人」なら、「相手に求める」ということをしないから、相手に何か「愛」みたいなものをそもそも求めたりはしないだろう、とも思う。
人間なら、動物としての求愛行動の次元を超えることができるだろう、と。
無条件愛、無条件奉仕、みたいな。自分からの「アプローチ」「求愛行動」の次元では無いなー、と。
…話がちょっとズレた。
結局僕が思ったのは、自分の人生において「求愛行動」をした記憶も、した意識もねぇなー、って。
魅力的な雌が現れたら、求愛するのが雄。 増田の前には本当に魅力的な人がまだ現れていないだけだろう。 そういう人が現れたら自然と愛も芽生えるんじゃないかな、増田にだけね。相...
逆だと思ってた。 よっぽど意識して頑張らないと求愛行動なんて取れないのが普通なんだろうと。 そして自分は頑張ってないから駄目なんだろうと思っていた。
職場でそういうことするとセクハラになるよ。
求愛行動とかいうが、人妻に求愛してもしかたがないだろうし、年収200万の甲斐性なし低学歴が異性に求愛とか脳みそおめでたいわ