2014-05-03

惨めな半生

お父さんお母さん、ごめんなさい。立派な息子になれずにごめんなさい。

妻にも、ごめんなさい。楽をさせてやれなくて。結婚したけど、意味のあるものは何も遺せない。

高校生とき自分は生きる意味についてずっと考えてた。思春期によくある悩みの一つだと思う。そのとき自分はとても真面目に悩んでいて、一日中考えてみたり本を読んだりしても何も見つからないことに苦悶していた。そうした毎日を数ヶ月も続けたとき、考えても見つからないってことは意味なんてきっと無いんだろうな、と勝手に結論づけた。

それなら、生きる意味もないのに現実苦痛しかないなら、死なない理由は無いだろうと考えた。だから死のうと思った。けれど、許容可能な苦痛を前にすぐ死のうという気力が起こるわけでもなく、ただただ日々を無気力に生きていた。苦痛に耐えながら誰かが僕の死を後押ししてくれるのを待って。

そんなある日、知らない精神科先生が書いた本に、「死のうと思ってもとりあえず30歳まで生きてみなさい」と書いてあるのを読んだ。特に根拠はなかった。ただ30歳まで生きてみれば何か変わるかもしれない、というだけのことだった。そんな話を真に受けるほど純粋ではないと自分では思っていたけど、でも頭のどこかでそれを覚えていて、30歳まで生きることをいつの間にか決めていたりした。最近ではそんなこともしばらく忘れていたんだけど。

それから10年経った今日高校生自分がやってきた。そして寝ている僕に「生きる意味は見つかったの?」と尋ねた。見つからない。「どこか役に立てる場所はあった?」無い。

独学でプログラムを学んでいくつかの会社で働いてもみたけど何の結果も出せなかった。オープンソースでいくつかプロダクトを公開もしてみたけど、意味のある成果が出たものは一つもない。カンファレンスに参加して発表も何度かしてみたこともあるけど、そんなものはもう誰もが忘れている。

それなりに我を忘れて熱心に取り組んできたと思っていたのに、振り返ってみても自分のしてきたことに何か価値があると思えなかった。

今は会社も辞めて家で一日寝ているような毎日で、体を起こすのもつらくて外に出かけることはもちろんできないし、プログラムを書くこともできなくなった。本を読もうにも本の重さですぐ疲れてしまう。我慢して読んでみても頭に何も入ってこなくて同じところを何度もなぞってる。いよいよダメだ。まだ30歳までは数年あるけど、こんな状態でこれから何か自分にできることなんてありそうもない。

高校生自分は続けて訊く。「それって生きてる価値あるの?」

高校生の僕、ごめんなさい。期待に応えられなくて。意味なんてなかったよ。振り返ればただ、惨めなだけ。

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