「人工知能の思想とフェミニズムの思想は中途半端に似ている(しかし絶対違う)ので人工知能側の行うことにジェンダー論が紛れ込む要素がみつかるとフェミの側で炎上しやすい構造が元々ある、という色眼鏡をかけると人工知能学会表紙の件が通りよく理解できるのではないかなぁと思っている。
人工知能は機械が自立性を獲得する学問で、ジェンダー論は女性が自立性を獲得する学問で、「自立性の獲得」という点では共通しているんだけど機械は元々自立性は持っていない反面、人は元々もっている自立性を取り返す、「再獲得する」という点で二つの学問は明確にことなる。
で、ジェンダー論やってるひとはたぶん「獲得する」という言葉を使わないように気をつけてきたと思うんです。元々もっているものを再獲得する、復活するという風にしないと最終的に男女平等が達成されても「女性は元々持っていないものを頑張って手に入れた」になっちゃうから。そもそもが平等じゃない。
という色眼鏡を用いた上で表紙をみると、「たとえ男女平等の世界が達成されたとしても、機械が自立性を獲得したように女性も自立性を獲得したんだね」という、自分の目的は達成されたのに根本的な部分で人と機械が同列に扱われている恐ろしい世界がジェンダー論をやっている方々には幻視されてしまったんじゃないかなぁと。
なので人工知能の思想とジェンダー論の相似と差異、という点にまで踏み込んで人と機械を同列に扱うな!という主張をしてるんだったら擁護するかもしれない。「ただでさえ人工知能とジェンダー論は近いのに掃除する女形なんて微妙なの出してきたらいろいろごっちゃになるだろ!こっちは機械とごっちゃにされちゃ困るんだ!」みたいな。
なので、女性型アンドロイドが掃除をしている姿そのものに政治性は薄いけど、自立性を付与する学問である人工知能の学会誌がこれを表紙にするということでジェンダー論からの解釈が挟み込まれる余地が生まれてくる可能性はなんとなくわかる。まあ色眼鏡かけなかったら特に何も思わないんだけど。
結論としてあれだよね、「人工知能=アンドロイドは固定観念!」という批判は、チューリングテストで人工知能とは人と区別がつかないことであるって定義された人工知能の歴史と伝統を踏まえて言ってるのならいいけど、たぶん互いに無知なところがあるよね。
どうしてもフェミ思想は昔の女性は奴隷だったっていう差別意識に結びつくみたいだな。 そして今現在も奴隷的(笑)生活をしている女性を差別すると。 レディーファースト(爆)の国...