2013-11-01

私達は山本太郎の強烈な主体性を恐れている

私達は、原発にも皇族にも全然興味が無い。

ただ、それらに関して何も意見が無いと、馬鹿無責任市民だと思われかねないので、

なんとかして真面目に考えているポーズをとる。

 

私達は、山本太郎政治的主張がどんなものであるかをよく知らない。

学の無い野卑な人に対する反射的な嫌悪感がまずあり、それを正当化する理屈を後から探す。

しか自分で考えることなく、他人が考えた山本批判の尻馬に乗る。

 

私達は、リアルでは何も言えないが、ネットではインテリ受け売り饒舌な言論人になる。

周りの空気をうかがいながら、馬鹿や悪の側に落ちない安全立場に居続ける。

生涯を通して受験生であり続けている。

 

山本太郎は私達とは違う。

何が正しくて、何が間違っているのか、彼はすべて自分で決めている。

そんな生き方をしているから、行動を起こすことができる。

世の中を変えたければ、まず自分が行動を起こさなければならないことを知っている。

からリスクコストや様々な矛盾の発生に対する恐れを振り切って、まずは動く。

 

私達は、山本太郎が、自分で考え、自分で決め、実際に行動するさまを見るのが怖い。

彼がこれからたくさんのことを経験し、学び、自分言葉で語れる専門家に成長するのが怖い。

彼が私達よりもずっと賢く、大人である事実を認めるのが怖いのだ。

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