そういう疑問は俺も持ったことがあるんだけどさ、国語学習を通じて論理学を学ぶというのはそもそもの設計上の問題があるかのように思う。
語学。
論理学は語学に内包されるような学問ではなく、哲学に内包されるべき分野なのでさ。
国語って名前だけど、学制がしかれた当初の設計だと、要するにリベラルアーツのトリウィウム(文法・修辞学・弁証法)にしたかったんじゃない?
国語という科目の枠に納める都合上、教材は日本語文学を使わないといけないということで、古文漢文から文法と修辞学を学ばせて、現代文から弁証法を(弁証法は無理なのでとりあえず論理学を)学ばせる、という風にしてるんじゃないかなって思うんだけど、その悪魔合体に無理があるんじゃね?
ハリウッド映画を通じて歴史を学んでも、それは歴史学と言っていいのか、そんな感じ。
みたいなもので。
いや、もっと豪快で雑だな、
くらいの感じじゃないかと。
もし、どうしても文学を通じて論理学や弁証法を学ぶというのならば、論理学の基礎になったような文学、古代ギリシャの書物とその注釈書あたりから教材をセレクトしていくのが王道なのではないだろうか。
訳本を「国語」学習として教えるのはうん、まあ難しいような気がするけど。
とはいえ、原著がギリシャ語とはいえ日本語訳されてしまえば日本文学と言えるのか?
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