自分が都会と田舎の中間のあたりの小学校へ引っ越してきたときのことだ。
田舎からやってきた自分は、小学4年生の同級生の対応に驚いた。
自分が話かけると、(特にクラスでよくしゃべる)同級生は、馬鹿にしたり、皆の笑い者にすることを、ユーモアとしてパフォーマンスしているのだ。
後々考えてみれば、(自分がかつて住んでいた土地ではまだ普及していなかった)インターネットの影響(特に若者の集まる掲示板等)が大きかったんだろうなあと推測できる。
インターネットではその手のノリ、また匿名性などから時には悪質な、そして良くないことにユーモアを織り込んだ中傷がなされることがあると思う。
しかし当の彼らは、それが万人には通用しないことを知らなかった。
彼らは、自分のやり方が通用しなければ、なぜなのかの分析をせず、変人扱いをしているかのように思えた。
だがそれは、私も同じかもしれない。私も彼らをそうやって批判している。
私は、彼らがそうしてしまうことは、仕方がないことだと思う。
良識が身についている人であれば、インターネットの書き込みについて、一つ一つ善悪を判断できるだろうが、そうでない人も居ると思う。
例えば、本当の親に、道徳的マナーを正しく教えられることなく、自分が興味を持ったインターネット、また彼らが正しいと思っているかもしれない世間を映し出す(と彼らは信じている)インターネットを、親としてしまった場合である。
彼らは何もかもインターネットから学ぶから、それが間違っているかもしれないことに気づかなくても無理は無い。
よって、ずいぶん前の条例改定の話だが、改定に反対の意見として、それぐらいの良識は皆持っている、というものがあった。
しかしその点では、反対する理由にはなりにくいのではないかと私は経験上思う。
確かに、他にどんな弊害などが考えられるだろうか、吟味していく必要はあると思う。
でも、万一対象の本を親としてしまった人(特に子供)が居たら―
過ちをせずして、正しいことには気づかないのではないかと思う。
今さら過ぎたかw