はてなキーワード: 阪神工業地帯とは
私は1979年生まれ。東北の田舎で育った。小学生中学生の頃の社会の授業。
京浜工業地帯、阪神工業地帯などが説明された。そのときは地帯は地域よりも広くて、京浜がとてもえらい、その程度に感じていた。
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塾講師の話も記憶には多いから、全く気合の入った教師ばかりでもなかったと思うが、その誇らしさよ、誇る気持ちがなくとも
何らの負い目も拠りどころとしての象徴のかけらも認識できない、だがそれがゆえに、今を生きる社会人となったこの私にとって
羨望ではないにしろ追憶と忘却のもやもやに消えていく、その自然なたたずまいにこそ、昭和がバブルが、高度経済成長があったと思えば
こそ、やはり今の世の中はものづくりというものに自信を失い、拠りどころとしようとする抵抗の心が感じ取れるので、そうであっても
やはり当時が満ち足りているわけではなく、足りないものへの憧れやあせり、欲するという心そのものはひとの命をゆがめているのに関わらず、それはほぼあまねく同世代の病気なので、世代論へと還元されていく、その繰り返しの続き続けて終わらないことよ。