はてなキーワード: ローマ帝国とは
[2009.3.25]
戦地における兵士にとっての常識を、イラストと文章でわかりやすく描いたTシャツが問題視されているらしい。
安全で平和な社会においては批判・非難されるようなことではあるが、コンバットフィールドに居るのは敵と味方だけであり、味方でなければ敵である。敵を殺すのがコンバットフィールドにおける兵士の仕事であり、それ以外の事を求めてはならない。捕虜の保護とか、敵と非戦闘員の区別とか、治安の維持といった事は、兵士の仕事ではない。
軍隊の仕事は破壊と殺戮であり、それ以外の事を軍隊に求めてしまうようになったのは、おそらく、ローマ帝国時代のカエサルが原因であろう(cf.[2006.8.15])。
カエサルはガリア地域で、平定した蛮族をローマ化することで、戦争を終わらせるという手法を選択した。ローマ軍は、蛮族を教化する集団となったのである。現地民を根絶やしにして植民する屯田兵ではなかったのである。この手法は、最初はうまくいき、ローマはその版図を広げ強大国へとなっていったが、同時に、国土が広がりすぎて、国境から遠い首都では厭戦気分が広がり、国境警備は貧乏くじとなっていく。国境警備をしている地域と、それらから遠く離れている地域とでは温度差が発生し、統合された大国は分裂する事になる。
蛮族のローマ化は、その場所での戦争を終わらせる手段としては合理的であったが、ローマ化した蛮族の敵が、新しいローマの敵となるという、敵を増やす結果に終わった。その敵すらもローマ化し、世界を統一するまで続けなければならない選択であったが、カエサルは志半ばで倒れ、その後継者達は、世界を統一するという所までの意思はもてなかった。また、首都ローマから遠く離れ、現地の気候に合わせた生活を取り入れなければならなくなると、ローマ化という目的すらも薄れていく事になる。
現地に適合した生活様式があるように、民度にあわせた政治体制があり、文化がある。自分達のやっている事が正しい事であるという意識が薄れ、ジャングルで泥まみれになり、砂漠で砂まみれになり、何をやっているんだろうと悩み始め、士気が衰え、せっかくの兵士が使い物にならなくなるのである。
戦争に勝つ為には、国民の協力と兵士の士気が必要であり、それらを確保するのに正義を信じさせるというのは、一番手っ取り早い手法である。しかし、軍隊や戦争が正義であるとなれば、道義的に正しい行動を求められてしまい、破壊と殺戮がやれなくなる。
戦争は、勝った方が正義であり、戦場で行われる事は、勝った側の行いは全て正義であり、負けた側の行いは全て悪になる。終わっていない戦争に善悪の価値観を持ち込むのは、戦争に対する理解が浅いという事である。
とにかく国語が嫌いだというところに落ち着く
・元素の本
・エジソンの伝記
を読んで「世の中不思議な物質や、もの凄いアイデア、壮大な戦争がある(あった)んですね」的な感想を書いたら
もう少し人間味のある本を読めと怒られた。
文学作品には人間味とかそう言うものが多く含まれていると言う感性が全く理解できない
クズな作者が自己正当化するための詭弁の塊か、開き直って悪露趣味を発露しているだけにしか見えない
こんなものから何を学べと言うのだ
どうしても読むならハンターハンター読むって
ただでさえキモいんだから最低限エンターテイメントとして成立させろよ
人間は複雑じゃねーよ
繊細なんじゃなくて被害妄想なだけだろ
そしたら話しはつまらなくていい
文章が美しければ良いんだとくる
世の中にはこんなに美しいものに溢れているのに
それらから目を塞いだ奴に言われたくないよ
いや、これでも本は読む方なんだけどね。
国語は古文、文法、論説文だけ教えれば十分じゃね
http://rate.livedoor.biz/archives/50645599.html
世界を見渡せば、嫁が旦那に決して顔を見せないという風習のある場所もあるらしい。これは厳しい自然を生き残るにためは、見た目にかまけてられないということなのだろう。一夫多妻というのも、女性の意志より男性の甲斐性を重視する厳しい砂漠の文化ならではだろう。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20080404/152308/
一方、ローマ帝国のなれの果て、イタリアは見た目を重視する社会のようだ。イタリア男は色男で浮気者だという。
現在の日本に、非モテという姿勢を表明する人が現れたり、少子化の道をたどっているのは、やはりマスコミが大きく力を持ち人々のマインドのハブとなり、その回りに様々な産業が発達した資本主義経済のねじれの結果なのだと思う。高度な産業が広告を作り、広告が視聴率を作り、視聴率が、美男美女のタレントと、恋愛消費文化を創り、その陰としてたくさんの非モテが現れる。
いわば、非モテ論は、性の階級間闘争である。しかし、ここで、、資本の産むヒエラルキーに社会をゆだねてしまうのではなく、生命の本質に立ち返り、非モテも子孫を残せる社会を築いてみてはどうか?モテ憎い、この非モテに厳しい社会めなどと泣き言を言わず、いきなり非モテのためのユートピアを設計してしまい、それに従った非モテ特区を日本に作るのだ。
この非モテ特区では、上の記事にあるように女性は顔を見せないというルールを作るというのもありだろう。そうした議論の後作られた非モテのユートピアでは諸君も気持ちよく、嫁、旦那、子供を持ち暮らしていけるだろう。
多神教だからといって異教と対立しないわけじゃないからね。
たとえばローマ帝国は多神教だったわけだけど、キリスト教徒やユダヤ教徒と衝突してるし、人死にも出している。
ローマ帝国は、異教徒に、当時の水準で言えば十分に寛容だったろうが、ローマ帝国が弾圧を加えたこと自体は事実だ。
また、「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」ってのは、信仰とは切り離しての政治的な妥協を認める格言だ。キリスト教だって頭が固いばかりではないよ。
あと、日本の仏教でも天台宗から批判されて(原因はそれだけじゃないにしても)幕府から浄土宗が弾圧されたりしてるし。日蓮宗は他宗派を激しく批判してるし。
標題に書いた通り、本書の感想ではありませんが、ちょっと思ったことを書きます。
まあ、私自身、元理系の無知なヌルオタなのは自覚していましたが、うなってしまう箇所がありました。少々長めですが、引用します。(当然、無断引用なので、問題等ありましたら、削除いたします)
(以下、P151からP152にかけて)
ローマ帝国は、独裁者によって運営されています。というより、独裁者(デイクタトル)という言葉自体、ローマ帝国の政治システムから生まれた用語です。
もともと共和国家であったローマは、度重なる戦役や国内の混乱に対処するため、迅速かつ公正な判断を下す統治者制度をつくりました。それが「独裁者」です。
長老たちによる推薦と市民の選挙によって「独裁者」を選び、それまでは議会で長々と、時には数年も話し合いながら結論を引き延ばしていた懸案も、あっというまに解決させる。
独裁制は当時のローマ帝国の混乱を一気に解決しました。今の私たちから見ると、ディクタトルは「大統領」とか「社長」と翻訳した方が理解しやすいかもしれません。
独裁者=ディクタトルは共和制ローマから帝政に移行したときに「皇帝」と名前を変えます。独裁者が任期制だったのに対し、皇帝は基本的に終身制でした。
独裁者の任期問題で苦労したユリウス・カエサルが作り上げようとした「終身独裁者」というシステムが皇帝制度です。カエサルの死後、一時は共和制に戻りかけたローマでオクタヴィアヌスは皇帝就任を宣言します。
(このあたりのローマ帝国の歴史経緯は西欧諸国ではかなりの常識です。たとえば『スターウォーズ』のお話を理解するためには、「共和制→帝政」の理解が不可欠なんですけど、あまりそのあたりに踏み込んだスターウォーズ論は読んだことがありません)
さて、この文章を読んでいる方は、このスターウォーズに関する「常識」をご存じでしたでしょうか?私の場合、自分の無知を棚に上げて、どうして誰も教えてくれなかったのか?と逆ギレしてしまいそうになってしまいました。なんというか、映画評論家とかって、自分の感想しか言わないじゃないですか。そんなのは、インターネットの素人の意見の方がよっぽど信用がおけます(私に限らないと思いますが)。プロに求められているのは、一般人に作品の背景を教養学的に解説し、作品の面白さをさらに上げる講釈家みたいな仕事だと思うのです。
そういう意味では、町山智浩氏の『映画の見方がわかる本』は良い仕事でしたね(元ネタがあるそうですが、それでも、日本語の本にした功績は大きい)。マンガ夜話やアニメ夜話も、そういった意味では良い番組だと思います。
いずれにせよ、TVのバラエティ番組が脊髄反射的に視聴者を笑わせて、時間を消費させる時代というのはもう終わっているような気がします。働き盛りにとっては時間は貴重な資源ですし、若者は携帯やPCで、自らコミュニケーションしていた方が楽しい。結局、TVは、団塊世代を中心とした老人向けの番組が多くなるかも知れませんね(笑)。
つまり、言いたいのは、プロにはプロならではの仕事が求められるでしょうし、ネットの普及で、「プロならではの仕事」の定義が変わってきている訳で、その辺に自覚的なプロがどれくらいいるのかということですね。まあ、露骨な世論誘導をするTV業界は、無自覚なまま滅んでしまっても良いと思いますが(笑)。