はてなキーワード: 京丹後市とは
http://anond.hatelabo.jp/20090905172618
このエントリの核心ってここじゃね?↓
最近の例では、京都府の京丹後市だ。あそこにはコンビニもあれば学校だってある。役所だってあるし、民間企業の社屋だって存在することに激しい違和感を持った。なんだこれは。これじゃあここで一生を終えてしまうことが出来てしまうじゃないか、という「つまらなさ」を感じずには居られなかった。おそらくだが、amazonで書籍を注文すれば普通に届けてくれるであろう地域だ。ユニクロだってあるかもしれない。
旅をすることはとても大事。現状に満足せず獰猛に新天地を探し続けるのは男のコの本能だと思う。
元増田が言ってる『アマゾンやユニクロのおかげで不自由のないド田舎ライフ』って傾向は確かにあって、
実はこれからの日本は『旅をしない男のコ』が増加していくんじゃないか。
ネットの普及は確実に国民からある種の距離感というものを奪った。
これだ良いことなのか悪いことなのかはよくわからないけど。
京都から東京に単身で引っ越してきて随分経つ。短期間、中部に住んでいたこともあるし10年以上前はパソコンのメンテ屋として京都や大阪中を駆け回ったこともある。そのときに、いわゆる辺鄙な土地を沢山見てきた。この先の長い人生において、再訪することは絶対無いであろう街の数々を。旅行で地方の街並みを見ていてもこういうことを最近よく考える。
「こんなところに人が住んでいるなんて、ちょっと信じられない」といった気分になるのだ。最近の例では、京都府の京丹後市だ。あそこにはコンビニもあれば学校だってある。役所だってあるし、民間企業の社屋だって存在することに激しい違和感を持った。なんだこれは。これじゃあここで一生を終えてしまうことが出来てしまうじゃないか、という「つまらなさ」を感じずには居られなかった。おそらくだが、amazonで書籍を注文すれば普通に届けてくれるであろう地域だ。ユニクロだってあるかもしれない。
鉄道に乗れば制服を着た高校生が談笑している。彼らがこの先大学を目指すのか就職するのかは知らない。もちろん就職難のこのご時勢、彼らが無事就職できるのかどうかはわからないが、少なくとも彼らにとっての幸福な人生とは、地元で就職し地元で家庭を持ち、地元で、地元で・・・すべてが地元で成す事を前提に設計されているはずだ。おそろしい、とてもおそろしい。彼らはうまくいけばいくほど、その土地から出る必要に迫られることは無いのだ。逆に、地元で就職することに失敗した人は「仕方なく」、京都市や大阪市に出てくるはめになるだろう。どちらが幸福な人生だろうか? 俺は前者のタイプを羨ましい面があると認めつつも、「怖い」とも思うのだ。自分があんなに辺鄙で、「ささやかな繁華街に行けばそこに大抵顔見知りが居る」程度に小さな土地で過ごして一生を終えることを考えると、ゾッとする。
俺の実家は京都市だが、たまに帰ってきて河原町を歩くとやはり同じ心境になる。そこに居る沢山の歩行者は観光客を除けばだいたい京都府民だろう。この人たちにとってのレジャースポットの最上位は、せいぜい河原町や梅田なんだろうな、と。年老いてからもそれは変わらないのだろうな、と思うとやはりゾッとするのだ。
なぜみんなもっと外に外に出て行こうとしないのだろう。なぜ外に出ないうちに家庭を持ったりするんだろう。わけがわからない。同じように、会社組織もなぜ社員をいろんな土地で働かせようとしないのだろう。外の世界を教えてしまうと逃げられるから、という理由があるような気がしてならない。
ちょっと調べてみたが、海外でもたとえばアメリカでは同じ州で一生を終える人とかは普通に居るようだ。有り得ないって絶対。今自分が住んでいる土地で人生を終えることが本当にベストなのかどうか、せめて幾つかの土地を見て回ってから結論を出したら?
俺はまだ結論が出せていない。この欲というか、迷いみたいなものがいつまで経っても断ち切れなくて、最近は日本に固執する必要もないよな、みたいな考えにもなってきてる。
※「地方の人間をバカにしている」と言われたら返す言葉が無い。確かに俺は今、京丹後市の人々をバカにしている。だから俺のこともバカにしてくれて構わない。ただ、悪意が無いことと、これは俺の一切の偽りの無い本心であることだけは理解してもらえたらと思う。
コメントで「繋がれた象」というお話について教えてもらった。この話は知らなかったが、俺が言いたいことはこれにかなり近いので少し安心した。