はてなキーワード: ベイズとは
うん、だから、その「有意な」ってのが、「俺様に都合のいいようにベイズ統計を使ってやった感」がバリバリで、こっちとしてはまったく有意に見えないんだよw
一つ一つ返せば、
読んでないけど~じゃないの
読んでないのになんでブックマークするんだろう。
後で読むかもしれないからブクマしてんだろw前の増田でライフハックは使われないと断言してたが、皆が皆そうではないだろ?w
要するにA=Bってことでしょ
その"要するに"の部分が記事なんだよ。A=Bだと誰もがわかるなら記事にする意味はない。AをBだと導出する過程に価値がある。
なぜここでは「誰もが」なんてことを使うのに、それ以前の主張では全称命題的な主張をしているんだろう。だから上のような感覚がバリバリするんだけども。
いや、A=Cでしょ
100字にせよ140字にせよブログでどれだけセイロンティーな長文垂れ流そうと、俺はお前がドヤ顔として処理する様しか想起できない。
アプリケーションの専門性があるわけじゃないからわからんなあ…。
検定と数学は全く関係ないでしょ。数学的には確率モデルと帰無仮説(と対立仮説)を設定したらもう終わり。
個別具体的な問題にどういう確率モデルを想定してどういう仮説を立てるのが「普通」かの知識なんて激しくどうでもいいよね。
ていうか基本的に検定論って胡散臭いっていうか、ほとんどの場合申し訳程度の言い訳にしか使えないと思う。
まだそれこそベイズ的に扱って分布の形で不確実性を表現しておいた方がいいと思うけど、検定論でずっとやってきた分野の人たちはもう変われないってのはあるんだろう。
みんなそれぞれが個人的に「いい歳こいて経験もないやつ」を観測して、そいつが実際にどうしようもない奴であることが多いから、事前分布が修正されて「いい歳こいて経験もないやつはどうしようもない」という仮説の信頼性を高めてるわけだよ。その枠組みは別に頻度主義的な仮説検定を使ってもいいし、ベイズ的な枠組みを使ってもいい。普通の人は無意識にベイズ的な考え方をしてるだろうけどね。
25歳というのは別に絶対的なラインではなく、多くの人の推定する分布関数の適当な信頼区間の裾が大体それくらいになるということだろ。別にデータを集めてシコシコ計算するだけが統計学じゃないし、データやモデルの不確実性がある以上、定性的な議論と大して結果の精度が変わらないってことはあるんだよ。
だから全然仰々しいことは無いし、むしろ問題なのは今言ったような概念を理解してないということ。理論的な背景を理解せずに感覚だけで議論するから頭悪い政治家みたいなどうしようもない押し問答になる。別に必ずしも統計学を通じて理解する必要はないけど、理解するためのてっとり早い方法が「統計学を勉強すること」だからそう言ったまで。
あー、そうだろうと思って「どうでもいいけど」とつけて書きました。言葉足らずですみません。めんどくさがりなんで。
まぁ俺もベイズは結構好きだよ。正直最尤法とかで点推定してるだけの古典的統計学よりよっぽど有用だと思う。
ただもともとの専門がガッチガチ領域だもんで。
ベイズ主義書いた増田。元増田じゃないのは知ってる。元増田の知識がどれぐらいか分からなかったから、大雑把に書いてしまったが、もっとよく知っている人(=あなた)の目には不正確にうつるかもしれないなぁ、という意味でした。誤解を招いてスマソ。
ベイズ主義書いた増田。まぁ、ベイジアンが有効なのはソフトサイエンスなのはそうなんだけど。ってか、俺もソフトサイエンス領域だからなぁ。元増田の知識がどれぐらい分からなかったから、なんか、子供をあやすように書いてしまった。もしムカついたらスマン。
ただ、言いたかったのは、「事実と確認できていないことを強弁して事実だと信仰するのが宗教」という大雑把な分け方だと、ハードサイエンス領域だと大体上手くいくかもしれないけど、思わぬところで足をすくわれる危険性があるよ、ということ。それが言いたかった。
いやベイジアンが有効なのは(基本的には)ソフトサイエンスだろう。
理論物理学なんかは基礎理論が強力な蓋然性を持ってガチガチにできてるから、推定を中心に据える必要はあまりない。
カノニカル分布のパラメータをベイズ推定しても意味ないんだよ。
で、科学と宗教をごっちゃにしてガタガタ言ってくるような連中は、たいてい宇宙論(笑)とかに絡んでくるからな。
(彼らは科学をやたらと批判する割に、ナビエ・ストークス方程式とかは理解できないらしい)
環境だって本来はガチガチなんだけど、現在の人類は複雑系をまともに扱う道具を持ってないから、仕方がなく統計的手法を使ってるという側面はあるだろう。
科学を「信じるもの」と思ってる奴は全員、科学を理解できてない。「ここまでは事実と確認できた」という情報を積み重ねたものが科学。
統計をかじっている立場からすると、元増田にはベイズ主義が理解できていないように思える。元増田の意見は、結局、世の中に大量にある書物や論文から得られる情報から「100%正しいと仮定する情報(=事実と確認できた情報)」を抽出して、「それ以外の正しくない可能性がある情報」は捨てて考えましょう、という情報の取り扱いに関する一つの方法論を示しているに過ぎない。
この方法は古典的で今でもよく使われている方法だけど、当然、「正しくない可能性がある情報」も捨てずに推論に組み入れて使う方法も考えられる。これがベイズ主義。統計の世界では、情報の絶対量が少ない場合など、「正しくない可能性がある情報」も捨てずに組み入れて使った方が有効なケースも多いことが知られている。今の時代、ベイズ主義を使っている科学はいくらでもあるよ。環境から心理学まで広く使われているはず。
結局は、情報を信頼する時に、どの情報をどれぐらい信頼しますか、という話でしかない。「事実と確認できていないことを強弁して信じるのが宗教」みたいにナイーブな定義をしてしまうと、ベイズ主義を使った科学的な推論も、事実と確認できていないことを推論に組み入れているので、「宗教」ということになってしまいかねない。科学と宗教の間には根本的な違いがあることは確かのだけれども、深く考えずにその違いを定義すると、誤分類をしてしまいかねない。その境界線をどうやって引くか、ということを議論する科学哲学という分野があるわけだから、餅は餅屋に任せて、科学哲学の入門書を読むのが、普通の人にとっては一番手っ取り早いと思うな。
まさにナイーブベイズということですか?
伊勢田 哲治 (著
入門書としても読めると同時に専門書としても一定のレベルを保っています。今まで提案された科学哲学のテーゼをとりあげ、これを実際に存在する疑似科学と科学の判定に有効か否かということで検証する、といった議論の進め方で話が進んでいきます。著者が言うように、可能な限り専門知識なしに読めるように工夫されています。
またこうした入門書としての気配りがあると同時に、専門書として一定のレベルを保っています。私はこの手の本を何冊か読んだのですが、ポパーとクーンの関係が今ひとつすっきりと理解できませんでした。しかし、この本のおかげでこの2者の長所・短所がずいぶんとすっきり理解できました。
筆者の本書における最終的な提案は,ベイズ主義に基づいて,線を引かずに線引き問題を解決するということなのだが,そこにいたる議論の過程こそ楽しむべし.エキサイティングです.
科学と疑似科学の間が単純な基準では線引きできないとなると,疑似科学と科学の間にグレーゾーンが残るわけだが,かといって,明確に科学的な分野や明確に非科学的な分野が存在する可能性は排除できず,様々な観点から見て,占星術や超能力研究を科学と呼ぶわけにはいかないことは,本書を読めば理解できると思います.科学する人も,占星術などの疑似科学が科学であるとナイーブに信じちゃう人にも,お薦めの1冊です.
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> な なんだってー!! <
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