はてなキーワード: ヘビーユーザーとは
もちろん始まってみないとわからないというのはあるが、
俺も友達も課金しようかって話をしてる。
もうニコニコ住人といってもいいぐらいアクセスしっぱなし。
今のニコニコ、重いのがイヤなので、有料会員サーバが軽いって評判になったら入るよ。
よくもわるくもうちの親らしいなあと思う。
今さっき電話があって、でたんだが、話す内容が全くといっていいほどなくひどい惨状。
「卒論だけは書いてよ!」
「就職だけはしてよ!」
「もうまた留年だけはやめてよ!」
「また鬱とかなって人刺しちゃだめだよ!」
だけだけいってるんだが、全然onlyじゃない。というか、何故に人を刺すとかそういう話になんねん。意味わからんわ。いっとくが、確かに一年留年したことは事実だが、何か犯罪に手をそめたという事実は今の今まで全くない。鬱病っぽい状況になりかけたのはそうかもしれないが、実際に診察を受けたわけではないので何ともいえないのが正直なところだ。そして、鬱病=気狂い扱いは流石にありえない。今はというと、アルバイトをしながら、公認会計士を目指すべく奮闘中。親にも相談してみたが2年も留年したカスがなれるかと一蹴された。まあそりゃそうだわな。
うちの親というのはよくもわるくも成功者だ。道を外れたという経験が全くといってない。はっきりいって何もかも順風満帆で世の中を渡っていったといっても過言ではないと思う。母親は今をときめく?地方テレビ局に務めていた経験があり、語学堪能で才女。頭がきれるというわけではないが、今の歳になっても語学を勉強し続けており、軽く6ヶ国語は話せる。対して、父親はというと、地方の中小企業ではあるが、若くしてトップになり、どこぞのweb2.0なんたらという新興企業のトップよりは遥かにカリスマ性があるし、売り上げも利益もそこそこある。まあそんなことは重要じゃないんだが。
だからというわけではないかもしれないけれど、うちの親というのはやたらと外面を気にする傾向がある。まあ、主に母親なんだが。と同時に、道を外れるのを極端に嫌う傾向がある。都会と違って田舎はプライバシーなんて鼻糞みたいなもんだから、きっと私も"あそこの息子さんなんたら・・"とほのめかされているのは間違いないだろう。だが最近になってなんとなく気付いたんが、例え、多くの人が歩む道から外れてしまったとしても、別にいいのではないかという気がしないでもない。確かに本流ではないかもしれないけれど、まだまだ道は他にもあるし、やろうと本気で思えば、いくつの歳になっても道はきりひらけるのではないのかと思っている。そう、私は知らず知らずの内に、親や世間から未来への想像力を奪われてしまっていたのだと最近気付いた。
さて、休日だというのに、ここまで読んでしまった増田ヘビーユーザーはあることに気付いたかもしれない。この文章、何百字かはわからないが、かなりの割合で"親"というキーワードがちりばめられている。そう私は先に記した親の子供だ。いい歳してまだ親離れできていないへたれだ。と同時に、小さなころから親の背中をずっと見てきた。心底、親を尊敬しているし、尊敬している。。ああ、私は外面より親を気にしているのだ。親においつき、おいこせたら・・と。振り返れば、幼少期からそれとなく周囲の大人や知り合いからほのめかされてきた。"おとさんおかさんすごいねー"と。うれしいことばだ。。と同時に、うれしく思えない自分がいた。私はたまたまいい具合にうちの父親と母親の腰のあたり具合がよくて生まれただけにすぎないんだと。だから、私はすごくもないし、偉くもない。収入なんて全くのゼロだ。今なんてほぼ学生NEETみたいなもんだ。
道は外れた。だけど、道をきりひらいてみせる。
注意されても何故逆カプが駄目なのか、ライト層のために理解できないらしい。
それは、逆カプを理解できないあなた方も同じではないですか?
ここで言う『逆カプが駄目』ってのは、逆カプの存在そのものが駄目って意味ではなくて(感情的には認めてないのかもしれんが…)、●×▲サイトで▲×●の話をするのが駄目って意味じゃないのか。で、ライト層(や外部の僕ら)は▲×●の話をするのが何故駄目なのかイマイチ理解できてないと。
あと、そういういちゃもんをつけてくる「ライトユーザ」のリスクは、そこまで大きいのでしょうか? 趣味を同じくする人が訪問してくれるメリットよりも大きいと考えてるの?
http://anond.hatelabo.jp/20070205012714の前半の話を見る限り、趣味を同じくする人は多少苦労するけどちゃんと訪問できるって事なんだろう。そして恐らく、801のヘビーユーザー程その辺に慣れてるので訪問しやすくなると(エロサイトに慣れると騙しの入口と正解の入口を判別しやすくなるみたいな感覚か?)。はてな界隈だと、フラットさというかクリック数は少しでも減らす事に価値を見出してる感じだけど、801界隈ではむしろ逆で、ある程度フラットさを排除しクリック数もちょっと多めにする事に価値を見出してるんじゃないかなと思う。
Firefox(のNoScriptアドオン)とOperaは、ページごとサイトごとにきめ細かなJavascriptの挙動を設定できる(不勉強にしてSafariについては知らない。IEはできない)。Javascriptに限らず、広告ブロックや不要ファイルの無視、特定Flashの再生可否など、ユーザーは「何が要らないか」を指定でき、要らないものを気軽に突っぱねられるようになった。不要なものを除去する習慣が、ヘビーユーザーのあいだで間違いなく形成されつつあるのだ。
Safariでは出来ないですな。Safariは「飽くまでもライトユーザーが混乱せずに使いこなせるような機能」程度しか提供していないので、その辺はOperaなどの高機能さに負ける。
確かデフォルトではタブブラウズがoffになってるんだけど、それも多分ライトユーザー向けの配慮。昔、Firefoxを試した友人が「タブブラウザ使いにくい、意味分かんねぇー」とか言ってたし。
一応SafariStandやSafariPlusなどのプラグインを使うことで機能を強化できるけど、それでもFirefoxの拡張ほど柔軟という印象はないなぁ。
でも、読み込みが高速で使いやすいブラウザなので、Safariをメインで使ってる。
誰かWebkitベースでOperaっぽい高機能ブラウザ作らないかな。シイラとかも面白いブラウザなんだけど、「もっとゴリゴリ高機能!」みたいなブラウザが欲しい。
いや、Opera使えばいいんだろうけどさ。どうもOpera5.0ぐらいの頃に苦手意識が根付いてしまって、使おうという気が起きないんだよね。
Google Maps以前のころ。ヘビーユーザーのあいだではJavascriptオフが常識になっていた。度重なる時計の再発明に業を煮やし、IEのActiveXに警戒心を抱き、不安定なOSをさらに不安定にするため暗躍するのがJavascriptでありJScriptだった。
Google Mapsがあれだけのインパクトを与えたのは、ひとえに、こういった先入観を打ち砕いたからに尽きる。信じられないことに、Javascriptって便利なのだ。実に見事な枯れた技術の水平思考である。
Ajaxという言葉が帰納され、ライブラリがぼこぼこと発表される。ネイティブオブジェクトの拡張と、クロスブラウザのための供物ラッパー集合体たるprototype.jsを筆頭に、様々なものが世に出、様々なアプリケーションがより手軽に実装できるようになった。
script.aculo.usやLightBoxやmoo.fxといった、エフェクト中心のライブラリも出回り始める。IEのせいで煩雑な記述を強要されたグラフィックアーティストが、DOM操作によって問題を解決しようとし始めた。リンクにmouseoverしたらうっとうしいエフェクトを振りまくスクリプトが当たり前のように設けられた。このはてなも、いつの間にか大量のMochikit/*.jsを読み込んでページのレンダリングを遅らせている(たまにad.hatena.ne.jpのレスポンスが遅いときなど目も当てられない)。これらに共通することは、多くの人がそれを望んでいないということだ。
もちろん好ましい方向への進化もあった。OperaがUser Javascriptを発案・実装し、FirefoxもGreasemonkeyでそれに追随。SafariもCreammonkeyを得て、いわゆるモダンブラウザユーザーは、豊かなスクリプトライフを楽しめるようになった(IEにもなんとかいう同様の機構を実現する環境はあるが、IEユーザーには敷居が高いのかほとんど見かけない)。Livedoor ReaderやGoogle Readerはイベントを操作することで、キーボードでの操作を今までにないほど豊穣にした。入力フォームのリアルタイムバリデーション、Google AnalyticsやAdsenseの導入容易さなど、見るべき意匠もいくつかある。
しかし平均的に考えて、何の変哲もない個人ブログにJavascriptは必要ないものだ。素人がつくったタイマーは、いつもユーザーを憂鬱にする。素人がつくったAjaxサイトは、だいたいの場合IEとFirefox以外を排除するもっともらしい理由を得るためにAjaxを使う(Dellが自社サイト上で「Netscape4.6以上で閲覧せよ」と警告することによって、やる気のなさを主張するようなものだ)。
我々が自分のブラウザ上でページを表示するとき、Javascriptによる意外な効果などまったく期待していない。UIにおいては最速こそ正義、というmala氏の言葉を引用するまでもなく、不必要に重いサイトはそれだけで忌避するに足る理由となる。流行を追って常識を忘れるのは愚かとしか言いようがない。
Firefox(のNoScriptアドオン)とOperaは、ページごとサイトごとにきめ細かなJavascriptの挙動を設定できる(不勉強にしてSafariについては知らない。IEはできない)。Javascriptに限らず、広告ブロックや不要ファイルの無視、特定Flashの再生可否など、ユーザーは「何が要らないか」を指定でき、要らないものを気軽に突っぱねられるようになった。不要なものを除去する習慣が、ヘビーユーザーのあいだで間違いなく形成されつつあるのだ。
何かひとつのことをするためのJavascriptは、これからしばらく出現し続けるだろう。ウェブマスターが、重厚長大な飾りで貧弱なコンテンツを隠すためだけに。何かを拒絶するテクノロジーは、今後しばらく発展し続けるだろう。十重二十重のラッピングに疲れた人たちのために。