はてなキーワード: プレッシャーとは
ダメ人間にわざわざ手を差し伸べるのは、結局自分にメリットがある時だけでしょ。
面倒な仕事を代わりにやってもらうとか。
強い者に恩を売られて相手のご機嫌を伺いながら生きるか、適者生存・不適者死亡の原則に従って道を譲るか、ダメ人間にはダメ人間なりの選択肢しかないってことじゃない?
弱い側が「自分は弱いから手を差し伸べよ」だなんて、お前なに自分の立場勘違いしてるんだって話だよ。
それが嫌なら頑張って、プレッシャーがあっても対応を誤らない強さを身につけないと。
最近は「釣りエントリーの名人」みたいな周囲の期待が広がって、より過激な釣りを書かなきゃってプレッシャー受けてた感じ。
26日の段階で閉鎖ネタ発動は予定してたかもね。
んーまあ、マジレスをするわけだけど。
ツッコミ所満載の記事を煽りっぽく書いたために各所から個別にツッコミが入る、そのツッコミ量に負けるって、要するに炎上のパターンね。
よってたかってやってるわけではなく、各人が個別の理由で「これはひどい」とタグ付けしたら当人にとっては(あるいはあなたにとっては)集団で攻撃されるように見えたってこと。
俗に言う炎上ほどにはプレッシャーが強かったとは思わないけど、打たれ弱ければ負けてしまうことはあるよね。
ま、一連のやり取りをワイドショーを見るがごとき視線で見ていて、尻馬に乗ってコメントしたやつもいたようだから、群集心理がまったくなかったとは言わんけどさ。ブクマついでに不要な皮肉を書いたような人は反省すべきだよね。打たれ強い人は平気かもしれんけど(猫猫先生とか池田信夫氏とか)、気の弱い人には結構利くよ。
んでもこれは、結局は自分が書いたものにたいして批判が入った場合に、プレッシャーに負けずにきちんと対処できなかった当人の態度の問題でしょ。
正直、負け方(逃げ方)としては最悪もいいところだから、あれが当人のその後に響かないといいんだけどね。
一人で悩んでいると大抵悲観的な方向に向かってしまうものだ。
だからあまりに堂々巡りな悩みは、人に相談したいところ
しかし、悩みを、あけっぴろげに、全てを筒抜けにし、話すというのは、とても勇気のいることだ。……自分にとっては少なくともそうだ。悩みというのは大抵自分の恥ずかしい性格やいいたくないことが関わっている。いいたくないといっても客観的に見れば大それたことでもなく、ただ単に「こんなことにいちいちこだわってるなんて、神経質だと思われるかも」など、そのていどの「恥ずかしさ」なのだが、実際に自分が誰かに相談する時はその程度の「恥ずかしさ」がものすごいプレッシャーとなって襲い掛かる。……少なくとも自分は。
もともと自分を全部出すというのが恥ずかしいのである。
匿名ならほとんど出せるものの、それでも全てをあけっぴろげに書くというのは恥ずかしい。
自分は仙人じゃない。滅茶苦茶俗っぽい部分や、恥ずかしい虚栄心、自惚れ、そういったものが多分に含まれている。それはよく考えてみればどんな人間であろうと多少はそうであろうし、だから人間なのだろうが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのである。もしかしたら欧米人は感覚が異なるのかもしれないが。
であるから、相談する時、わざと、一段抽象的な話にしてしまうのである。具体的な悩みを、一般化させて尋ねてしまう。しかしそうすると、相手には当然、うまく伝わらない。結局相手がとんちんかんな答えを返してきたりして、それにイラっとして「そうじゃなくて」と言い返し、相手も「でもそれじゃよくわからない」と当然の正論を返し……と泥沼化しやすい。
具体的な事を言えば、話は早い。だがそれができない。しかし相談はしたい。その上での苦肉の折衷案なのだが、大抵、結局うまくいかない。
やはり「素直になる」事を避けられないのである。
他人に対し、それを避け続ければ、結局、「他人とは基本的にうわべの付き合い、悩みや何やらは全て自分の中だけで鬱々と考え込む」という自分のような人間になってしまうのであろう。
それが悪いとかいいたいわけじゃないが、少なくとも自分は嫌なのである。そうした自分が。
大体、親兄弟に対してすら、素直になれないのである。
子供の頃からそうだった。
素直になれないが、本当は素直になりたいのだ。でも恥ずかしさがそれを押し留めている。この性格はちっとも変わってはいない。
子供の頃は、ただ、母が察してくれるのを待っていた。自分の恥ずかしさを隠した抽象的な相談から始まり、母が何がいいたいのかわからないと、いくつも質問をぶつけてくる。そうするうちに、母が察して、自分の素直な気持ちを当ててくれるのを待っていた。それに頷くことでやっと真の相談が始まる、といった具合だ。
しかしこの相談法は当然ながらあまりに拙い相談法である。
母も、母だからといって当然自分の全てを知っているわけではない。母の「察し」がまるで当たらず、自分が癇癪を起こしたこともある。そうした場合は大抵母も怒り(当然だ)、自分も怒りで、結局「お母さんに相談してもだめだ」という結論に終わり、相談は失敗する。そんなことも多い。
そしてなにより、あまりに遠回りであるし、そもそもこれすら「出来ない」こともあった。自分の素直な気持ちに頷く事すら怖いほど、相談が「自分的恥ずかしさ」に引っかかっている場合(大抵虚栄心などである)、「抽象的な相談」すら、それをきっかけに母が自分の素直な気持ちを察してしまうのではないか、そうしたら頷かないといけない、でもそれは怖い…と考え、出来ない事もあったのだ。
そして大人になった今、ますます「素直」になることは難しくなった。母親にさえあんな調子だった自分が、一体どうして他人に素直になれるのか。もう、母親に子供の時の手法を使うこともできない。ネット上なら?いやいや、ネット上の相談場というのは、ほとんど相談者のアラを叩くために存在しているようなものなのだ。相談という場には適していないと個人的には思う(そうでない場合もあるが)。文字だけではなかなか心情が伝わり難いというのもある。そもそも素直以前に、身元バレの問題で深く書き込めないこともある。
素直になれば楽だろう。
そう分かりつつ、素直になれない。
自分をさらけ出すのが、恥ずかしい。自分をさらけ出すのが、怖い。
素直に、なれない。
少数派だからないがしろにしてるんではなく、
「吸ってもいいですか?」という事は、
多数派がこうである(吸わないとイライラする)がゆえ、非喫煙者としては、相手が少数派の嗜好派なのか、多数派の依存症派なのか、わからないので、こういう風に受け取ってしまう、ということじゃないですか?少数派をないがしろにしているわけではなく。相手がどちらか分からない以上、そう判断せざるをえない。勿論そうじゃない(イライラするから吸ってもいいか、という意味はない)にしても、こちらにはそれを判断できる手段がありません。多数派はそうであるなら、とりあえず目の前の相手もそうである可能性を考えるでしょう。そうでない可能性があったところで、それが「可能性」のレベルでは同じ事なのです。要は、「だから断り難い」という事なんですから。
男性のほとんどは女性を恋人にしますが、勿論少数派で男性を恋人にする人もいます。どちらか分からない状態の場合、目の前の男性はひとまずヘテロだと判断しませんか?そんなようなものでしょう。
どの道おそらくあの文章の主旨は、「吸ってもいいですか?」は、非喫煙者にとって非常に断り難い文句だ、ということでしょう。個人的には、嗜好派だと分かっていた所で、「吸ってもいいですか?」の断りにくさはさして変わらないと思います。「何何していいですか?」というのを断るというのは、何であれ、断り難い質問です。断るという事は、こちらが、相手に「してはいけません」と禁止するようなものですから。
聞き方をもっと断りやすいように変えるべきなんじゃないでしょうか。大抵、煙草を吸わない人は吸われるのを嫌がりますから、「煙草吸いますか?」などの質問の方がいいと考えます。(それで、吸わないといわれれば吸うのをやめればよいのです)煙草吸いますか、ならば、自分の事を答えるだけなので、変なプレッシャーもありませんから。
別に女の人生が男の添えもんとかまでは流石に思ったことないし
そこまで女として生まれて悲観してるわけでもないが
普通に働く人生ならば、男に生まれてきたほうがなんぼか楽だったろうなとは思う…
まあ思っても仕方ないからあんまり考えないようにはしてるけど。
「イケメンで金持ちの男捕まえて結婚して専業主婦☆昼は毎日セレブの友達とランチ☆」……ってなごくごくごく少数のラッキーガールになる以外は男の方が楽だんべ。なったら楽だけどね。こっちの方が。でも確率は宝くじ一等並。ほぼ無理。普通は考えない選択肢だからさ。別に、男なら絶対楽だとも思わんし、例えば今男になってみたらなってみたで違う苦労をするかもわからないから究極的には何も言えないけど、少なくとも現時点ではね。
普通に仕事に生きるには、やっぱ、男の方が何かと楽やしね。あるところにはまだ男女差別ってあるし。女性だとなかなか上にいけないやん。能力があってもなかなか。でも、男の中にもそんなバリバリやりたくない。男だからってそういうのもとめられて嫌だ、って人もいるわけで、そういう人も含めて本当性差別っちゅーか、いちいち関係ないところで男女フィルター通して見るのが消え去ればいいのですがね。
あと男だと性犯罪とかDVの危険性がほとんどないから安心でいいよね。ホント時々だけど、暴力奮われたらどーしよーと思うときはある。議論とかが激しくなってきて、相手が逆ギレしだしたりしたらと思うとちょっと怖いかな。男はいざとなれば力づくで納得させられる、と思えることがちょっとズルいなと思う。
あとはそうだなあ。生理とか?でも個人的にソコまで酷くないからこれはあんまり思った事ない。でも出産機能はいらないな。女性特有の病気とか結構多いからその辺気をつけるのが面倒くさいというのもある。
オシャレに関しては一長一短。服のバリエーションは多いし、ファッション誌などの豊富さはいいと思う。でも妙に金かかるのは欠点。なんとかしたいところだ。男はTシャツにジーンズでなんとかなるからその辺いいなと思う。まあいい奴は高いけどねTシャツ一枚でも。まあでも男っぽいファッションもしようと思えば可能なのはいいかな。あんましないけど。似合わないから。
まあでもメインはそのくらいかな。仕事の面が一番大きい。やっぱ生きる糧だしね。そこらへんが解消すれば特に不満はないかな。あんまり、他人の「女の子なんだから云々」系プレッシャーは気にならない性格だから。
でも今は好きな仕事してるし、女だからどうこうとかがない職場だから、今のトコ、平穏だけど。
あと恋愛とかに関して、この間「恋愛で、女にメリットはあるのか」って言ってる人いたけど、それはちょっと同意する。男は性欲を満たす事ができるけど、女は特にないなあ。奢られるの、好きじゃないし(後でもめそうで)。最近はデートDVとかも多いし、あんまり得はないなと思う。
あとときどきちょっとした細かいことで、男の方がいいなと思う事も結構ある。まあ本当に細かい事だから気に病むほどじゃないんだけど。
女というだけで軽く見られたりするときがたまーにあるけど、そういうときはやっぱムっとするね。相手に「女フィルター」かかっちゃってるときとか。同じ意見でも女の意見だと意見そのものじゃなくて「女が言った意見だ」みたいなフィルターがかかっちゃってる感じ?まあそんなにリアルじゃ感じないけど。寧ろネット上の方が感じる……ああ、あと、ネット上の全般的な女叩きの流れはやっぱちょっと見かけると嫌な気持ちになるな。あまりに多すぎて、ちょっとね。
女に生まれて嫌だ、というより、女に生まれて特別(男と比べれば)メリットはないな、という感じだなあ。
まあグダグダいっても仕方ないので、出来る限り自分のしたいことが実現できるよう頑張るだけですが。
三年近く付き合ってる彼女に最近「セックスしてあげたでしょ云々」といわれる事が多くなった。
こういうのは共同作業だと思うからその度に嫌な気持ちになる。
単に飽きてきたのじゃないかと聞いてみても違うというが、ほぼそう確信している。
セックスしてあげた私って偉い!みたいな気持ちになるのってよくあることなんだろうか。
ちなみにセックスの内容としては、クンニは毎回してる。彼女は基本的にマグロだから
フェラは自分からしてくることはない。だからお願いしてやってもらうわけだけど、
そのお願いが心理的なプレッシャーとなって心苦しいってのはある。
んで15-20分後に彼女がイクのを見届けてから終了、とこんな感じです。
所信表明演説を10日に実施したばかりの安倍首相が、12日14時の記者会見で辞任を正式発表した。
辞任理由は健康上の理由という情報が流れており、一部では懐疑の声が上がっているが、
わたくしはあながちウソではないと考える。
今年の2月、日経のWeb記事で立花隆氏が、安倍首相は腸へのストレスにより、
オムツをしながら任務を続けているという記述があったくらい、当時からかなりのプレッシャーに追い詰められていたように感じる。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070221_kenkou/
立花氏の記事の内容と重なるが、北朝鮮拉致問題に取り組んでいた前職では、記者会見などでの表情が明らかに首相の今よりも生き生きとしていた。
逆を言うと、首相になってからは、顔色も悪く、見ているこちらはヒヤヒヤしていた。
安倍首相は、やはり、真面目すぎたんだろうとわたくしは感じる。
小泉首相はいい意味でも悪い意味でもいい加減な部分があり、自分でガス抜きが出来る人だった。
人の上に立つ人、とりわけ、頂点に位置する人は孤独であるといわれている。
その孤独とどう戦っていくのかが頂点にとどまり続ける秘訣であるとも考える。
ある中小企業の社長は神頼みだけにとどまらず占いや霊媒師に頼り会社を動かしていたという笑えない話も聞く。
結局、頂点に立つ人へ助言する人はごくわずかで、常に孤独と戦い続けるハメになる。
この事象は日本人特有なのかもしれないが、
改めて、自分を支えることが出来るのは結局自分だと言うことを痛感させられる出来事だった。
さて、結局何が言いたいのかが分からないエントリでした。
なにがいいたいのかよくわからないけど、僕も恵まれている一人かも→父親:経営者 母親:専業主婦だけど、元テレビ局勤務
世間様からみるとそれなりに裕福なほうだと思う。そういやお手伝いさんもいた。
恵まれているほうだし、恵まれてない人からみればふざけんな!とかいわれそうだけど、裕福な奴は奴で割とひねくれちゃったりする場合が多い。ただし、全てではない。これは田舎に限っての話しだけど、田舎だと格差とか明らかなのね。で、まあ学校とかでもおかねもちだもんねーとか、まあ子供なんでそれは仕方がないんだけれど、いい大人も自分らに対して、似たような発言するんだわ。ちょっと妬みがうすまじったかのような発言をね。で、これがよくないんだわ。なんというか、先の発言て、僕を指した発言じゃないんだよね。全て、親をみた発言なわけで、そこに僕は全く存在しない。なにをやってもあれをやっても何かを達成しても、自分がやったように感じられないんだわ。そうして、2世の大半は自己評価の低いまま潰れていく。これも自然の摂理といえばそうなのかもしれないけれど、正直納得いかない部分もある。それでも、そのプレッシャーをうちやぶってこそなのかもしれないけどね。
と、たてよみすべきところを全力でつられてみた。
伝わんない人だな、あなたも。
あなたの問題は遅刻以前の問題だってみんな書いてるでしょ?
プレッシャーとかは待ち合わせの時間の問題。
あなたが別れるか否かの判断にするのは、遅刻して来たあとの彼氏の振る舞いのおかしさ。
判ってる?
お付き合いするっていうことはすり合わせをするってことだと思っているので、できれば落としどころを見つけたかったんです。
寝坊して遅刻ということがあるのは仕方がない。遅刻は許さないとは言わないけれどせめて一言謝って欲しい。
その気持ちを相手にうまく伝えられないかなって思ってたんですが、「謝って」という言葉を「押し付け」「プレッシャー」と感じてそれすら妥協にならない人もいるんだなということが分かりました。
別れるしかなさそうですね。
時間を守る事はプレッシャーになっても、時間を守らない事はプレッシャーにはならない気がした。
いつから押し付けに変わったんだ。
少しでも長い間相手と一緒にいたいから時間は守って欲しい(遅刻しないで欲しい)という気持ちをプレッシャーととらえてるんだろ?相手がなんで時間を守って欲しいかっていう動機が見えてないんだろうなあ。
礼儀って元々は相手に対する思いやりなんだよ。意味もなく決まった作法じゃなくて、理由があるの。
少しでも長い間相手と一緒に過ごしたいという気持ちを不快なプレッシャーとしか感じない相手ってそもそも親しい相手だとは思えないんだが。
そりゃそうだw
一緒に居たい気持ちがプレッシャーなんて誰が言ったんだ。誰もいってねぇ!
少しでも長い間相手と一緒に過ごしたいという気持ちを不快なプレッシャーとしか感じない相手ってそもそも親しい相手だとは思えないんだが。増田が嫌いな相手に無理矢理待ち合わせに付き合わされてるなら分かるけどさ。
同じように何度も忘れた頃に蒸し返される問題としては、たとえばモンティ・ホール問題や0.999999...=1があると思うが、これらは一応、過去の問答の蓄積を誰かが掘り返してくる。
なぜころ問答は、それがほとんどないように見える。毎回記憶喪失。
これに関連して思いついたこと。
モンティ・ホール問題や0.999999...=1は、数学における事実を扱った問題だ。つまり、
事実の探究(どちらのドアにするべきか?、0.999999...は1なのか?、等) ↓ 事実の発見(別のドアに鞍替えしたほうが有利、0.999999...=1、等) ↓ いかにして個人個人が理解する(させる)か ←いまここ
という問題構造の上に議論が進む。発見された事実は揺るがないし(だから事実発見までの議論の蓄積が役立つ)、個人個人が理解に用いたノウハウも参考になる。
一方、なぜころ問答では、
規範の根拠の探究(なぜ人を殺してはいけないのか?) ←いまここ
そもそも探究されているものが事実ではなく規範の根拠だ。そして、この探究は未だ目標物を発見できていない(この点に異論あるなら、発見されたものを示してもらえると助かる)発見できていない(発見されたものの蓄積もない)にもかかわらず、「いかにして個人個人が理解する(させる)か」のフェーズに入ろうとするから、おかしなことになるんじゃないだろうか。
お札がちょっと足りないんじゃあないですか、という、暗黙のプレッシャーだったりして。
うちにくるお坊さんはいつもお茶も遠慮して去っていくよ。茶腹になるんだって。
さて毎日メールはできないけどもばんばんするよ。まだまだメールするよ。
出来ないことも多いだろうけど出来ることをしなさいなどと言うつもりはないの。
みんな合宿だけど、やはり時の流れは合宿と他では違うもので、この五日間、寂しい思いをしていて
ばらの散るような気持ちというのが最もわかりやすい。
そうしたところ君からの手紙が来て驚いた。本当にできるところがあるとはあんまり思わなかった。
日本センターのようなところなのでしょうね。たのしくやっていることはいいけれど実際には、やはりいやなことはいやと、嫌いなこと、不愉快なことにについて嘘を言ってはいけないような気がする。他人に言うか言わないかはどうでもよくて自分をだますのは、そんなだましかたはよくありませんし適切でもありません。と私は言いたい。
なぜかとあなたが問うでしょうか?私はそれに答えます誠実さをもって。そうすることであなたの肌触りとも言うべき感覚は言葉のプレッシャー嘘の重圧に押し騙されて、せっかくの体験をゆがめてしまいます。それは残念なことです。自分を騙すのは人生のいかなるときでも出来ますが、その下を流れる人生の一部である生活は絶えず違うものでまた戻らないからです。どうか、辛いことを辛いと悲しいことを悲しいとそしてこれが大事なことですが嬉しいこと喜びのことは少し差し引いて(人生の中でも特異な体験をかけがえのないものとしようとして仕方のない精神が働くことはある程度は仕方ないのです)いくことを提案します。
まとめるとそうですね、【はしゃぎすぎず、美化しすぎず】なのです。長い言葉がつむがれるのは私の生理で、やはり翻訳調というものは私の心にぴったりだと思います。その風変わりなところと、何より直截なところが。
またあなたに会いたいと思っていますが、心のもやもやはおおよそ45分の早歩きで吹き飛ばせるので心配をしなくとも結構です。こうやって離れている間、まるで毎日の睡眠が死への予行演習といったあの日本語のマエストロに引き比べながら、あなたと別れてからの人生を練習しているのかもしれません。あなたはロシアでの夏、そしてわたしにはロシアのあなたを思う夏があります。この夏は2007年の夏はそんな夏であるのでしょう。
会社の後輩の子が一緒にご飯食べませんか?と誘ってきた。
日曜の夜だったので、昼間は仕事でそれから来るんだろうなと思って、会った時に「仕事お疲れ様」というと「違うんです。人と会ってたんです」と言う。
友達に紹介された男性と会って来たんだと言う。
「どうだった?」と聞くと「ダメで逃げるように店出てきました」と疲れた顔で言う。
彼女は普段から男を漁る女ではない。
至極まじめでまじめすぎて余計なものまでしょってしまうタイプ。
でも、グチはこぼさなかった。
少なくとも私を含めた会社の人からは彼女のグチを聞くことは少ない。
仕事の大変さも弱弱しく「でも、私の要領が悪いから」と言っていた。
まじめなのでどうも、男を紹介してもらった自分もどうも恥ずかしいらしい。
それで、私は言ってみた。
「いや、そういう時期あるよ。彼氏がいたら幸せになれるって思う時期」
逆に言うと、パートナーがいないから不幸なんだと思う時期。
仕事も責任あるものに負かされ始めて、プレッシャーが増えた時期。
回りはぽろぽろと結婚する。
ああ、私も彼氏がいてくれれば、あんな風に幸せになれるのかしらん?
それで、私も後輩と同じように友達に紹介してもらった。
友達といわず、いろんな知り合いからかなりの数を紹介してもらった。
でも、そういうのってうまくいかないんだよね(苦笑
そんなに回数会った訳じゃないのに「この人違う」って思っちゃっうんだよね。
今ならわかるんだけど、私は「自分を幸せにしてくれる人」を求めてたんだよね。
好きとか嫌いとかそんなの関係なく。
一方的に「私を幸せにしてーーー」なので、ちょっと気に入らないと「あ、この人違う」
若い頃の私よ、何を奢っていたのか、バカモノめ(笑
付き合うには気持ちないと長続きしないよね。
私がそんなんだから、そういう気持ちが相手にも伝わるから下手に「まあ、しばらく我慢してやるか」なんてことを思っても向こうから離れていったよね(笑
しばらくは「私は不幸な女」に浸っていて、そして、飽きて、一人でまたもそもそと人生を送り始めた。
私がしょってる不幸(ただのないものねだりなんだけどね)みたいなもんは彼氏ができれば、すべて解消されると思ってた。
違うよ。
好きな人と一緒だから楽しいんだよ。
嫌なことがあっても我慢できるんだよ。
つきあうなんて相手があってのことなんだよ。
それを私は自分のことしか見てなかった。
自分が幸せになる道具が欲しかった。
そんな話を後輩にした。
後輩は納得いかなさそうな顔をしたけれど、いい子なので特に反論はしてこなかった。
彼女が彼氏を作れて、それで幸せになれればそれにこしたことはないんだけどね。
私は今も彼氏がいない。
誰かを好きになったら考えようと思って数年が過ぎた。
彼がいなくても幸せだし、なんと言っても、他人に自分を幸せにしてもらおうということが間違ってたと気づいた。
自分を幸せにできるのは自分だけなんだよね。
例え、彼氏ができたとしても、自分を幸せにできるのは自分の気持ち次第なんだよね。
同じ後輩とまたご飯を食べに行く。