同じように何度も忘れた頃に蒸し返される問題としては、たとえばモンティ・ホール問題や0.999999...=1があると思うが、これらは一応、過去の問答の蓄積を誰かが掘り返してくる。
なぜころ問答は、それがほとんどないように見える。毎回記憶喪失。
これに関連して思いついたこと。
モンティ・ホール問題や0.999999...=1は、数学における事実を扱った問題だ。つまり、
事実の探究(どちらのドアにするべきか?、0.999999...は1なのか?、等) ↓ 事実の発見(別のドアに鞍替えしたほうが有利、0.999999...=1、等) ↓ いかにして個人個人が理解する(させる)か ←いまここ
という問題構造の上に議論が進む。発見された事実は揺るがないし(だから事実発見までの議論の蓄積が役立つ)、個人個人が理解に用いたノウハウも参考になる。
一方、なぜころ問答では、
規範の根拠の探究(なぜ人を殺してはいけないのか?) ←いまここ
そもそも探究されているものが事実ではなく規範の根拠だ。そして、この探究は未だ目標物を発見できていない(この点に異論あるなら、発見されたものを示してもらえると助かる)発見できていない(発見されたものの蓄積もない)にもかかわらず、「いかにして個人個人が理解する(させる)か」のフェーズに入ろうとするから、おかしなことになるんじゃないだろうか。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51099893.html 何故、なぜころ問答は毎回リセットされてしまうのだろう 同じように何度も忘れた頃に蒸し返される問題としては、たとえばモンティ・ホール問題...
同じように何度も忘れた頃に蒸し返される問題としては、たとえばモンティ・ホール問題や0.999999...=1があると思うが、これらは一応、過去の問答の蓄積を誰かが掘り返してくる。 なぜ...
0.999999...=1でおもいだした。 今朝の朝日新聞を読んでいて不思議におもったことがあるんだ。 「四捨五入をしているので合計が100になりません。」 という表記があった。かなり不思議...
例えば、正確に 1/3ずつの何かがあったとして、 小数点以下2桁を四捨五入すると、 A. 33.3% B. 33.3% C. 33.3% これを単純に合計すると 99.9% で 100 にならない。
http://anond.hatelabo.jp/20070826135014 元増田は0.9999の話と新聞の話を別々にしていると思うんだが
別々でしかも元増田の勘違いだろ? 0.99999...=1 は収束の話で 四捨五入された項目合計が100%にならないのは誤差の話。 で、とる値によるけど四捨五入の誤差で項目合計が100%にならないこと...
http://anond.hatelabo.jp/20070826142803 ああそうそう 正確に1/3というのが0.9999…の話を引っ張ってるのかと思ったんだ
小学生(しょうがくせい)はこんな所(ところ)に出入(でい)りしてはいけません。 先生(せんせい)に言(い)いつけますよ。
「アイドルのうんこ問題」みたいに体系的な整理をするひとがまだ現れないから。 記憶喪失なのは当然。毎回違う人が参戦してるから。その人にとってはいちいち新鮮なのだ。 「おまえ...
こういうのは、なぜ死んではいけないのか、なぜ生きなければならないのか、とかの類で宗教的な問題もからみそうか。 宗教的というものが、世界を客観化する絶対的な存在を頂点と仮...
なぜころ問答は、1=0.99...問題やモンティ・ホール・ジレンマのように論理・真理を問う問題ではなく、考え方を問う問題だから。時代が変われば答えは変わっていくだろうし、だからこそ...