さて毎日メールはできないけどもばんばんするよ。まだまだメールするよ。
出来ないことも多いだろうけど出来ることをしなさいなどと言うつもりはないの。
みんな合宿だけど、やはり時の流れは合宿と他では違うもので、この五日間、寂しい思いをしていて
ばらの散るような気持ちというのが最もわかりやすい。
そうしたところ君からの手紙が来て驚いた。本当にできるところがあるとはあんまり思わなかった。
日本センターのようなところなのでしょうね。たのしくやっていることはいいけれど実際には、やはりいやなことはいやと、嫌いなこと、不愉快なことにについて嘘を言ってはいけないような気がする。他人に言うか言わないかはどうでもよくて自分をだますのは、そんなだましかたはよくありませんし適切でもありません。と私は言いたい。
なぜかとあなたが問うでしょうか?私はそれに答えます誠実さをもって。そうすることであなたの肌触りとも言うべき感覚は言葉のプレッシャー嘘の重圧に押し騙されて、せっかくの体験をゆがめてしまいます。それは残念なことです。自分を騙すのは人生のいかなるときでも出来ますが、その下を流れる人生の一部である生活は絶えず違うものでまた戻らないからです。どうか、辛いことを辛いと悲しいことを悲しいとそしてこれが大事なことですが嬉しいこと喜びのことは少し差し引いて(人生の中でも特異な体験をかけがえのないものとしようとして仕方のない精神が働くことはある程度は仕方ないのです)いくことを提案します。
まとめるとそうですね、【はしゃぎすぎず、美化しすぎず】なのです。長い言葉がつむがれるのは私の生理で、やはり翻訳調というものは私の心にぴったりだと思います。その風変わりなところと、何より直截なところが。
またあなたに会いたいと思っていますが、心のもやもやはおおよそ45分の早歩きで吹き飛ばせるので心配をしなくとも結構です。こうやって離れている間、まるで毎日の睡眠が死への予行演習といったあの日本語のマエストロに引き比べながら、あなたと別れてからの人生を練習しているのかもしれません。あなたはロシアでの夏、そしてわたしにはロシアのあなたを思う夏があります。この夏は2007年の夏はそんな夏であるのでしょう。