はてなキーワード: アドベンチャーゲームとは
深雪真奈がよかった。
http://www.se-kirara.jp/index2.html
以下、ネタばれ含む。
このゲーム、ルート選ぶ順番でずいぶん印象が変わるんじゃなかろうか。
やった順番は、亜矢→真奈→泉→優→望美。
これはわりと当たりだったと思う。とはいえ、意見が大きくわかれるところだろうな。優ルートで張られた伏線を見ておかないと泉ルートの展開が唐突だし。
ということは優→真奈→泉→亜矢→望美かな?これはこれで最初がつらそうだ。
亜矢ルート
わりと王道なストーリー展開。ああ、なるほどこういうゲームか、と思うと他のルートで裏切られるw
これが一番よかったなー。こういうキャラ好きだし、ストーリーも起伏が適度にあってよい。
泉ルート
先にやった二つが、普通に学園ものだったので、予想外の展開に大笑いした。そして俄然興味が湧いた。
これも学園ものだったら、そろそろやめてたかも。説明不足のところがいくつかあった。
優ルート
選択肢多いわ納得いかんわバッドエンドにさくさく入るわでなんか疲れた。キャラとしては嫌いじゃないので残念。
望美ルート
泉ルートがああいう内容だったのと、他のルートをやってるときの望美の言動があまりにも非現実的だったので、ここも絶対なんかあると思ったら案の定。
というかまさかの本筋。
?
True endはいい意味で予想の上。斜め上かも。よもや平行世界を持ち出すか。
伏線がそれなりに張ってあったから、世界をひっくり返された感はなかったな。
必要かというと、そうでもないというか、ただのエロゲじゃねえんだよ!という力みが感じられる気もする。
全体として、統一感がないとみるか、5つのゲームが入ってるようなものと見なすか。自分には退屈しないでよかった。規模もちょうどいい。
そして、(広義の)アドベンチャーゲームの面白さを思い出した。ノベルゲームやりたいな。なにか異世界もの。エロはまあ無くてもいいや。
やってみると面白いもんだぞ。君の言ってるほとんどの問題がそれだけで解決する。いろんなやりこみがある。低レベル以外にも、素手とか、鈍器しか使わないとか、一人旅だとか、個性的なチャレンジはいろいろ考えられるよ。
運任せで勝つこともある、というのは確かにそうだけど、やりこみではそれすら戦略の内。反復試行で現実的に可能なギリギリの低確率、本当に出来んのかコレ、というラインを算出し、そこを狙うことになる。
勝率が数%の戦いで、最後の一撃が決まるかどうかの瀬戸際に感じるスリルは、「後ろに戻ることがある」ゲームに劣ってはいないと思うんだが。
そうやって達成したやりこみを発表する。他の人が、あるいは自分がさらにキツい条件を付加して次のやりこみを考える。発展性もある。
デジタルコミック云々はむしろアドベンチャーゲームに対して言うことだろうしね。
あ、やりこみについて調べるならFF2、FF3、FF5、実際にやるならそこまできわまってないゲームからやるのをお勧めする。ちょっとあの三作のやりこみはレベルが高すぎて最初はついていけないと思うw
第0001回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0001
第0010回:衰退していくIT業界に向けて、30半ばシステムエンジニアが昔の思い出を語るよ 0010
中学生になった僕は、マイコン熱がさらに高めていった。その頃お小遣いもそれなりに増え、折りしも、バブルの好景気にさし掛かろうかと言う時代、自営業である家業もある程度儲かっていた記憶があって、家の財布の紐はちょっとだけ緩んでいた。
住んでいる家は それまで通り6+6畳で狭いままだけど、新しいマイコンをねだれば買えてしまう時期だったと思う。狭い借家にマイコンやモニタが所狭しと並べられ、家の一角だけは未来的な雰囲気(当時としては)が漂っていた。
僕は、当時全盛期だったNECのマイコンどうしても欲しく、初めて自分のマイコン(兄貴との共同出資かもしれない?失念。)を買った。それがPC-6601(1983年発売、定価143,000円)だった。
当時、マイコン小僧たちの憧れはPC-8801シリーズ(この時の最新機種は、PC-8801mkII。価格は20万前後)で、当然ながら欲しいと思っていたのだけど、やはり値段の兼ね合いから却下されてしまったのだと思う。また、どうしてもやりたいゲームがFM-7に無く、PC-6000シリーズにはあったと言う理由もある。(ゲームについては後述)
PC-6601の売りはなんと言っても3.5インチFDD搭載と言う事。その当時出回っていた5インチのフロッピーに比べ、あの完全に磁気面がガードされた3.5インチフロッピーはなんとも先進的で、当時の憧れだった。それから、どう考えても無駄な、合成音声をしゃべる機能があった。
PC-6601を買ってからの僕は、BASICもまぁ触っていたけど、難しすぎるベーマガのBASICプログラムにはついていけなくなり、当時流行り出したアドベンチャーゲームを解く方に熱中していたと思う。
その頃熱中していたゲームは、ミステリーハウスから始まり、T&Eソフトのスターアーサー伝説I 惑星メフィウスやデゼニワールドをなんかを必死に解いていた。この時代は、途中で詰まってしまったらそれまで、攻略本や教えてくれる人など居ないので、月一に発売される雑誌の攻略ページなんかを見て、しこしことゲームをやっていた。当時のゲームの進みはかなり遅かったと思う。1ゲーム解くのに軽く半年くらいは要していたはず。
そもそも上述した「スターアーサー伝説I 惑星メフィウス」なんかは、とある牢獄から脱出するのに、牢獄のドア、3本の鉄格子の右を3回「タタク」と入力するなどと、おそらく知らなければ永遠に気が付かないような謎解きが平然と混入していた。ゲームバランスなんてあったもんじゃない。
あと描画速度の遅かった事と言ったらない。少し凝った絵だと、1シーン1分くらい描画していたように思う。
当時のグラフィックスを今見て、すごく懐かしいなと思うのは、当時は表現できる色数がかなり少なかったので、(8色とか16色とか)アドベンチャーゲームなどで人物や背景を表現する為に、2色で細かい縞模様を作り、無理やり中間色を作り出していた。この描画表現を見ると、かなりノスタルジックな気分になる。
ちなみにその当時、僕はファミコンのゲームをかなり軽視していたと記憶している。
ファミコンが発売されてしばらくの間、ファミコンのゲームはマイコンゲームからの移植で、機能を制限したものが多かった。なので、しばらくファミコンは自宅に無かったし、見向きもしなかった。
ファミコンなんかよりもマイコンのゲームの方が数倍複雑で楽しいし、ファミコン自体は、所詮マイコンの機能限定版だと思っていた。
しかし、この状況はすぐに逆転することになる。ファミコンが思わぬ大流行をしたため、マイコンのゲーム数は、ファミコンにいとも簡単に抜かれた。仕方なく少し遅れ気味にファミコンを買う羽目になる。
あの頃やったアドベンチャーゲームには、色々な思い出がある。中間色を駆使したあのグラフィックスをみると、いつでもあの頃の思いが蘇ってきて、なぜだかワクワクしてしまう。
まだ続くと思います。
新世代寝取り&寝取られ風味純愛アドベンチャーゲーム『ほしフル』、ちょうおすすめ!
http://anond.hatelabo.jp/20070630181251
触発されて、俺もプログラミングとのかかわりを考えてみた。
小学生時、家にはFM-TOWNSがあり、PCには触る機会が多かった。当時、ソフトウェアというものはメーカーが作るものだという思い込みがあったが、フリーソフトというのものの存在を知り、どうやってそれが作られているのか気になる。プログラムがしたいと思うが、開発環境が手に入らず断念。
おかんがPC9801を仕事で借りてきた。マニュアル群の中にROM-BASICの説明書(文法解説付き)がありいじりまくる。しかし、ROM-BASICは保存が出来ないので、毎日プログラムを一から組みなおしていた。作っていたのは、ほぼIFとGOTOのみからなるアドベンチャーゲームもどき。
中学生時、友人家にN88BASICを見つけて借りて帰る。今は無きBASICマガジンを毎月買って、載っているプログラムを打ち込み、それを参考にしてゲームを作っていた。
高校に入り、この頃から家にWindowsマシンがあったので、VisualBasicで適当なプログラムを組みまくる。いま考えたら恥ずかしいホームページを作って、ソフトを公開する。いくつかのソフトがWindows100%なんかの雑誌に載ったりする。Cとかもちょっとだけ触る。受験とともにプログラミングから離れる。