はてなキーワード: 「うつ」とは
http://anond.hatelabo.jp/20090628172950
元増田の親がしていることは、嫌がらせです。嫌がらせをする輩が『悪い』というのは自然な感覚で、なんらまずいことはありません。逃げではありません。現状を正しく認識して、そこからうまく逃げましょう。
参考リンク
http://allabout.co.jp/health/stressmanage/closeup/CU20040415A/
それから「怒り」を貯め込むと「うつ」の引き金になります。早々に発散なさることをお薦めします。
参考リンク
『「うつ」をやめれば、楽になる』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569664776/ref=s9_simz_gw_s0_p14_t1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&
うつ病の症状で最も辛いのは、これまで普通に出来ていた日常生活が思うように出来ないことです。
一緒に生活している家族だからこと、患者さんの変化に気づけるのです
例
からだの症状が現れていないかを聞いてみると、自分の不調を自覚しやすかもしれません。
眠れない、食欲がない、落ちんでいるという症状はうつ病でよくある症状ですが、
時に逆の症状があらわれることがあります。
大切なことは、「様子がおかしいな・・・?」と感じたらそのままにせず、本人に確認してみてください。
オナ禁をずっと続けてたら物事をあまり深く考えなくなった・・・考えるのがめんどくさい。
オナ禁・エロ禁してるとエロい妄想をしなくなるからなぁ。そのせいで想像力そのものが低下してしまったのでは・・・
エロ妄想は頭をフル回転させ、長時間イメージ力を全開にする。普段これだけ頭を使う事はないwww
男の思考力は視姦とかエロ妄想で鍛えられているんじゃないか。。。
週刊ポスト(2009/02/13)の記事『男性ホルモンで「寿命」「うつ」「ボケ」が決まる!』によると男性ホルモンが多くなると認知能力・判断力が鋭くなるそうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20081223210419
どっかまともな企業に就職して、とりあえず通って真面目に仕事しさえすれば給料もらえて、週休2日で休みの日には溜めていた家事やって、なんてのが、元増田のイメージする「まともな暮らし」なんだろうし、一般的にそれがまともであることは否定しないけどさ。
だから、誰もがその暮らしをすべきだと「説得」するのは、ちょっと待った。
元増田からみれば「いい加減な働き方」にしか見えないであろう、派遣とかだって企業に身を捧げるのではなく、職業に身を捧げるのだという意識でやるなら、立派なキャリアアップなわけだしさ。いい加減ってのは、「良い加減」なんだから、彼女にとっては最適な働き方かも知れないでしょ? 結婚したら「まとも」だなんて、そういう元増田の一方的な価値観を押しつけられたら彼女イヤになると思うよ。
元々、ウツになりやすい人ってのは、真面目なのね。「こうあるべき」というイメージがあって、そのイメージに自分が近づけないから、自分を責めてウツになるんだよ。
『「うつ」をやめれば楽になる』って本を紹介しておくね。中途半端に知ってるってのはまずいって思う人が大半だけど。私は相手を知ろうとすることが大事だと思う。「ウツ」ってどんな病気? 「ウツ」の人には何をしてあげられるの?
自分の価値観を押しつけるのではなく、相手が何を望んでいるのかを知り、それが手に入るように援助してあげること。そういうことが友だちとして出来る手助けだと思うよ。
おぼろげに書いたことに対してつっこみを入れてもらい、だいぶ今の気持ちがわかってきた気がする。
気分変調や意欲減退を引き起こす、脳内物質の変調といった内因的な要素と、何もできなくてうまくいきそうもない現実があって、それから逃避し、甘え続けているといった外因的な要素は、相補的に絡み合い、大局的にみたときの「うつ」という状態を悪化させているのだと思う。その悪循環を解消するためには、自分の理性ではどうにもならない生理的なものと、現状に甘えてしまった結果もたらされるものを、線引きして考える必要があるのだろう。また、うつ状態が長期化してしまう原因として、ある程度回復してきたときに、再びスタートラインに立って現実を見すえなければならない、という恐怖から、退避した現状のままでいることに甘んじてしまい、うつから立ち直りたいという気持ちに矛盾を引き起こしてしまう。
今の自分の精神状態を考えれば、投薬のおかげで、精神医療から見たうつ状態に対してはある程度の決着がついていて、否応なくおとずれる調子の波を感じ取り、自分なりの対応をすることもできるはずである。あとは自分に対する甘えに立ち向かっていかなければならなくて、だからこそ、体育会的な自己啓発論にすがりついてでも、なんとかしたいという方向に気持ちが向きつつあるのだと思う。
この記事を見て思った事とか。
「うつ」というものが一体何なのか、と考えたときに明確な答えはわからない。
いいえ、明確な答えはあなた自身がこの直後に書いているではありませんか。
とにかくしんどくて死にたいという思いが四六時中頭から離れず、仕事や勉強はおろか、食事・睡眠といった根幹的な行動すら不能になり、生活が全く立ち行かなくなってしまった状態が長期に渡っている状態
この時点で以下の反論を喰らいそうですが――
結局は人それぞれのことだろうし
これはあくまで症状の話であって、それら『鬱』の原因は人それぞれではありません。『鬱』は『鬱』です。
だから
結局のところ、自分にとっての「うつ」というのはあくまで副次的なものにすぎないのであって
この『自分にとっての』という修飾対象が『鬱の症状』なのか『鬱それ自体』なのかは文脈からは、そして『副次的』の指す意味が何を主体とした時の副次的なものかは判断できませんが、これだけははっきり言えます。鬱は何らかの副次的なものになり得る可能性はありますが、鬱それ自体の解決は全く孤立した問題です。
なので
鬱は言い訳にはなりませんし、言い訳にならないほど解決に向けてのプロセスが単純です。そのプロセスとは、抗鬱剤を服用する事です。
つまり
ベタなことだが、できないことを悩むヒマがあったら、"今"できることをひたすらにやるしかない。そして、働いて生きていくしかない、という現実を受け入れなければいけない。
こんな体育会系ごり押しマッチョ理論は『鬱』に対しては通用しません。これでどうにかなるのなら、それは『鬱』ではなくただの『甘え』です。
初めにいっておくと、自分はかれこれ2年近く抗うつ剤を処方されている。そして、今の精神状態を保っていられるのも、薬の効果に因るところが大きいよう思う。しかしながら今になっても、「うつ」というものが一体何なのか、と考えたときに明確な答えはわからない。自分の経験からいえば、とにかくしんどくて死にたいという思いが四六時中頭から離れず、仕事や勉強はおろか、食事・睡眠といった根幹的な行動すら不能になり、生活が全く立ち行かなくなってしまった状態が長期に渡っているとき、だと思うが、結局は人それぞれのことだろうし、第三者が判断するのも難しい。
とはいうものの、ふと「うつ」という言葉を目にしたとき、同情するよりも、何か不快な感情が沸いてくるのは自分だけではないと思う。それは「うつ」という言葉に"やる気がでないのはうつのせいだ。だからきつい言葉を浴びせないでくれ…"という意味合いが含まれているのを感じ取ってしまうからだ。だから、圧倒的なネガティヴさによって精神が腐食され、それが周囲に伝播する前に、病院へいって治療を受ける必要がある。自分も以前は、また今でもそのような気持ちを少し引きずっているので、誰かと接するのには注意を払わなければいけない。恣意的な悪意はなくとも、相手をネガティヴの渦に巻き込んでしまうからだ。
さらに思うことは、人生における一時期の停滞を簡単に「うつ」と理解してしまっていいのだろうか?ということだ。それまでバリバリと働いていた社会人なら、一呼吸おいてリフレッシュすればまた復帰できるかもしれないが、思春期から青年期にかけては、誰しもが成長途上で様々な問題に直面し、ある程度乗り越えていかなければいけない。その過程で落ち込むことはたくさんあるだろうし、うつっぽい状態に陥ることも珍しくないはずだが、それを「うつ」という視点からのみ解決するのは適していると言い難いように思う。また、一時的に退避した状態から元に戻るのは、大変に困難なことだ。しかし、世の中には想像するよりはるかに理不尽な状況があるだろうし、自殺に追い込まれる状態になることだけは、絶対に防がなければいけない。
結局のところ、自分にとっての「うつ」というのはあくまで副次的なものにすぎないのであって、精神論で解決できるものではない、ということだ。「うつ」だから行動できない、といういいわけはもうしたくない。ベタなことだが、できないことを悩むヒマがあったら、"今"できることをひたすらにやるしかない。そして、働いて生きていくしかない、という現実を受け入れなければいけない。体がどうにも動かない状態なら無理だが、今の自分は動ける。だから今、何かをやりたい。
うちのも同じくらいひどかったけど、最近良くなってきたよ。ここ半年は薬さえ飲まなくても快眠できるようだし、相当安定してる。ひどいときは似たようなことたくさんしてた。頭突きでアパートの壁を凹ましたり、OD連発したり。狭い道でベンツとすれ違ったときに「あぶねーんだよ!」って大声だして、若頭みたいなのがでてきたときは土下座の勢いで謝ったよ。よく殴られたんだけど「今日はこれで済んでよかった」とほっとしたもんです。(ただ狂った女性の力ってすごい。ほんと、うっかり殺されなくてよかった)男関係もひどくて、常に誰かに寄生していないと生きられないみたい。浮気されてんのはデフォだったし、おれ彼氏認定してもらえてなかったし。メンヘラってどれも似たり寄ったりなんだよね。ひどい話はまだまだいっぱいあるけど、本題はそれじゃなくて。
おれ自身も風邪がうつるみたいに、不眠になって、神経症っぽいってことで半年くらい医者に行ってた。その一年は彼女とも決別してて、自分を安定させるのに必死だったっけ。かなり依存してたから、彼女なし世界ってのは、びっくりするほど暗黒だったのを覚えてる。どうも色彩感覚がなくてセピアな感じで、もちなーんにもおもしろくない。ネガティブなことしか考えらんないから、バイトもまともにできなかった。一度別れたとき、自分が彼女に対して何の影響力もなかったと気づいたときにはちょっと死にたくなったかな。コンビニ行く気軽さであっちの世界行くとこだった。はっきり「うつ」とか「ボーダー」って診断してもらえなかったけど、病名が何かより、寝られないのが本当にきつかった。ドリエルがどんだけ効かない薬なのか、今ならよくわかるよ。あれは睡眠導入剤でもなんでもなくって、よく言えばカモミールティーと同じくらいの効果の代物。一時的な睡眠改善にはなるだろうけど、すぐ効かなくなるんよね。
脱線したけど、一年くらい彼女と別れてて、お互いに自立できるように必死になって、彼女のほうも自分の操縦法がわかったんだと思う。久々にあったときには、だいぶ良くなってた。もちろん、おれもね。うまくアドバイスできないけど、彼女が自立できるように、生きる価値みたいなものをあげたらいいと思う。就活とか卒論から逃げてた彼女に、その楽しさとか、達成感だとか、まず自分が成長できるんだってことを教えたら、こりゃ病気だなんて言ってられねぇってことで元気に活動しだしたよ。あとはすごくかっこ悪いから書きたくないけど、彼女を大切にすることかなあ。うわあ、ダサいなあ。たぶん、それがちゃんと伝わって、ほいで他人を大切にすることに気づいてもらえて、そうすると自分を大切にできるようになって、自分を大切にする余裕があるから他人を大切にできるようになって……そんなまともなプロセスがあったかはわかんないけど、考えられるのはそんなとこ。それと忘れちゃだめなのは、ちゃんとお薬飲むことかな。これが一番効く。当たり前だけどさ。
確かにメンヘラからは逃げるたほうが賢いね。別れたいなら、別れなんて告げてないで全力で逃げたほうがいい。断固拒絶しても死なないって。もし彼女が死んだら責任とれないけど、おれの経験では死ななかった。てか、それより、ミイラ取りがミイラになってるんじゃないかって心配してる。増田が切らなきゃ、相手は切ってくれんよ。ただねー、無事治るケースもあるってことを知って欲しい。逃げるだけが策じゃないでしょ?
心理カウンセラーに何万、何十万もつぎ込みたくないのなら、
とりあえず、まず、自分がどういう行動してるかをちょっと考えて、
それに合った本を探してみる。ネットでググってもいい。
例えば、
・親とは口もきかない、親に本心を言えない。それが心に引っかかってる
→精神分析系の本(キーワードは、「対象関係論」「自己対象」)
・この前まで頑張って残業とかしてたのに、最近は朝起きられない、電車に乗るのが怖い
・リストカットがとまらない
・実母が兄嫁が虐める、通帳を隠されたと言ってきた
・周りの人が自分にはわからないように悪口を言ってる、頭の中で自分を批判する声がうるさい、
(と家族や知人が言っている)
→統合失調症の本(「統合失調症」「精神分裂病」「被害妄想」)
こんな感じかね。
ある程度入門書を読んだら、今後自分がどういうふうに「治療に参加」して
いったらいいかわかってくるはず。
心理カウンセラーは、自分の言葉を漏らさず聞き、気持ちを受け止めてくれ
(ているように見せてくれ)はする。自分で自分を変えるための勇気を
次第に出せるようになるような環境を整えてくれはする。でも結局、
こんな流れをくぐり抜けて行くのは、側に伴走車が居ようとも、やっぱり
自分なんだ。
「これが自分をだめにしてた原因だ」
↓
「xxが、自分をだめな奴にした。なんて酷いんだ!」
↓
「どうしてみんな、だめでも生きろなんて言うんだ。生きるなんて意味ないよ....」
↓
「生きるのは辛いけど、でも、死ぬのも面倒だから生きるしかないかも」
↓
「だめな自分でもなんとか生きて行きる方法を探してみようか」
↓
「だめなはずの自分にも、これはできるのか!」
↓
「なんだか自分は少しずつだめじゃなくなっているかもしれない」
↓
「自分は、だめな所もあるけど、いい所もある」
↓
「周りの人も自分も、いい所もだめな所もある。それが人間で、家族、
社会なんだ」
↓
「いい人がだれかとか、何が正しいかとかわからないけど、自分は
こう生きている。これからまだ生き方は変わるかもしれない。でも、
死ぬまで自分なりに誠実に生きよう」