2024-09-13

anond:20240706134700

これはワンアイデアで「〇〇すればいいじゃん!」なんて話では到底済まない大きなテーマだね。俺もけっこうずっと考えてるんだけど

ある意味現代社会死角に入ってるんだよね。

昔は「被害者意識」とか「恨み」「復讐心」は宗教とか掟的なものによって半ば無理やり社会化されていたのが、「各自うまいこと解消してね」ということになってしまった。

そこから考えると社会化・共有ってことがひとつ方向性としてあるだろう。同病相憐れむじゃないが同じような立場の人と体験を話し合うということ。

でもだだ漏れに喋ってれば傷が癒えるのかというとむしろその行為自分主体性を溶かしていってしま自己憐憫ループにはまっていく可能性もある。

から「聞いてもらう」だけじゃなくて聞く側・助ける側として他人のために心砕くことが自己救済につながるということもあり得る。

でも今度はその行為依存してなんかおかしなことになってくるって場合もあるし。なにしろかんたんではない

記事への反応 -
  • 私は、ある事象の被害者である。 しかし、この「被害者」という自意識を投げ捨てたい。 自分が被害者だと思うことで、それが贖われない自分が悲しくなってくる。 贖われないから、...

    • これはワンアイデアで「〇〇すればいいじゃん!」なんて話では到底済まない大きなテーマだね。俺もけっこうずっと考えてるんだけど ある意味現代社会の死角に入ってるんだよね。 昔...

    • 訴え続けていけば良いのではないか。他の人への攻撃になるようなことでも。 事例で個人が特定されるようなものであればむずかしいだろうけど。

    • 「自分は被害を受け、苦痛だった」と感じること事を自分に許してやるのはどうだろう。 信頼できる友人とか、友人に負担をかけたくないならカウンセラーに協力を頼むのもいいと思う...

    • 「被害者」でいるうちは被害者属性の利益がある間は無理。 最初は実際に被害受けてるからしゃーないけど いつまで被害者ぶってんだとか言われる位強引にならないとダメじゃね

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