価値で考えるってのも理想的ではないと思う。
何故ならそれは分からないものだから。
文化の価値は後 (それがいつかも分からない) に決まる。
たとえばこういう話がある。
江戸時代の庶民が自分が食べたものを数十年記録し続けた資料があった。
学者にとってはこれは凄くありがたい資料である。
当時はグルメ本なども多くつくられたが、ありふれた料理は「残すべき価値があるもの」とは思ってなかったからわざわざ記録するような酔狂な人はまずおらず、結果的に貴重になってしまった。
もちろん個人的な日記のような資料もたくさんあるが、起こったことを記録するものであって (当時の人にとって) 何も起こったと思えないような日常は案外に記録がないのだ。
後の世代のために何かを残すなら (馬鹿げているように見えるものも含めて) 色々な種類を残すことが大事だろうと思う。
もちろん無制限に全ては不可能であるにしても価値があるから残すというのじゃなくて今の時代の縮図となるような残し方が望ましいんじゃなかろうか。
わからない、評価不可能なことにコストをかけることを納得させるのは難しいだろうけどね。
懸念はわかるんだが、あくまで理想を言えば、「あかほりさとるすらも『文学・芸術』と位置付ける」だろう。 高尚さと芸術価値の分離が必要なのであって、高尚な芸術としてラノベ...
価値で考えるってのも理想的ではないと思う。何故ならそれは分からないものだから。文化の価値は後 (それがいつかも分からない) に決まる。 たとえばこういう話がある。江戸時代の庶...
いま現在どれだけ売値が付くかという話じゃないだろ。 そもそもラノベ図書館を作るというのも亡くなったマニアの蔵書7万冊が廃棄されるから何とか保存したいというのが発端で まさ...
そうだな。価値っていう言い方だとそういう話にもなりかねないか? 俺が思っているのは、価値観自体を変更して、お前が残したいと思っているような範囲を「価値がある」に含める...