望月がトンデモなのじゃなくて、数学の定義は原理的に厳密であり得ないという可能性も否定されないよね。
あと、どんな数学的主張も記号論理学でいう記号列に翻訳できるものなら(逆にいえば翻訳できないものは数学の問題としての資格はない)コンピュータで機械的に証明が正しいか確認できるっていうけど、
それならなぜABC予想の証明は記号列に直さないんだ?それが完了すりゃ紛糾の余地なく白黒はっきりつくはずなのにね?やってるけど難しいからまだできてないってだけ?
そもそも証明論文から記号列に直した「つもりになってる」ある記号列を作ったとして、それがコンピューターが正しいと言った時、記号列が正しいことにしかならなくないか?
つまり「つもり」ではなく、論文という多少なりとも自然言語の部分をはらむ文と、記号列が厳密の翻訳元と先として対応していることを、この自然言語が原理的に介在してしまっている「対応してるか」という問題を解けるのかということ。
1+1=2の1がリンゴの個数なのか人の人数なのかはどうでもいいんだけど、それをもって厳密ではないと言う話なら、その厳密さは捨てたものだとしか言えないですね
もちろんそういう問題じゃないんだが?本当に元増田読めてる?
そう言う話だよ 物事の共通する要素を取り出して法則性を見つけるのが数学。 お互いに別のものを思い浮かべていても、そこに成り立つ法則が共通してるならそれでいいんだよ。一致す...
なら、望月新一のABC予想の証明に対して、これは証明できてるという人と証明できてないという人もいるのはなぜ? 同じ法則を共有できてないからでしょ? そういうのみると、法則を規...
これは望月がトンデモの可能性を否定できないということ
望月がトンデモなのじゃなくて、数学の定義は原理的に厳密であり得ないという可能性も否定されないよね。 あと、どんな数学的主張も記号論理学でいう記号列に翻訳できるものなら(逆...
正しいものならコンピューターで証明できるが短時間で計算が終わる保証はない。また、正しくないものであれば計算が永遠に終わらないことがある あと、どんな数学的主張も記号論...
でも感情的に紛糾するよりはとりあえず記号列に直すほうが建設的だよね?
あれは「同じ法則を共有できてない」んじゃなくてミスを認めるかどうかの問題では
「では」ってことはそうとは言い切れないってことなんだな。