2023-09-19

銭湯という平和

湯の前で人は平等になる。

我々は日々、社会という闘いを生き抜くために色々な武装をして生きている。生きているだけでは、そのことに気づけないほどに、その重みは我々の身体に染み付いている。

入り口で靴を脱ぎ、「男湯」と書かれた暖簾をくぐる。その瞬間、少し軽くなる。

不思議もので、男と女区別するその暖簾こそが、僕を男であることから開放し、僕を「人間」にしてくれているのかもしれない。

脱衣所で服を脱いで、シャワーで全身の汚れを落とした時、更に身体が軽くなる。

軽くなった身体は僕を湯の前に連れて行き、そこに広がるのは、同じく「人間」の姿をした裸体の男達だ。だらしない身体をしたやつ、少し鍛えているやつ、加齢で皮膚が垂れてきてしまっているやつ。ここにはみんないる。

ああ。湯の前で人はあまりにも平等だ。

の子モテる為に買った服も、彼女に貰ったネックレスも、自慢する為に卒業した学歴も、必死に覚えたメイクも、湯の前に連れてくることはできない。

そんな平等さを前にしたとき社会という闘いから一息つくように、今日も僕は湯に浸かるのだ。

  • 湯の中に連れていけるのは磨き上げたそのボディのみ。 さぁ、裸の戦いをしようじゃないか…

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