あの表現にある難民への書き手の悪意は今回措くとして、
難民が自らのために難民になることを選ぶのは自由だと思うんだよね。
もちろん難民にはならない方がいいけど、
ここじゃ無理だ、どこか別のところで生きたい、この国に入れてくれ、っていうのは、
受け入れる受け入れないは別途議論されるとしても、
一個人としての真っ当な要求だとは思う。
仮に「そうだ、難民しよう」的な腹黒さがあったとして、それは誰でももつ生存への欲求の延長で、
そんなに醜いことではない。
醜いのは
「そうだ、難民使おう」っていうほう。
判断力ないから内部留保使えない、
新規事業起こす創造力もなかったからジリ貧、
株価は下げたくないからコスト削減しかできることがなく、
結局人件費圧縮だけが唯一の策となってる無能経営者。
最低賃金やそれ以下でうまく働かせられる労働力として
難民に期待しているとしたら、これ以上醜いことはない。
Permalink | 記事への反応(1) | 06:40
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そういう価値観もあり得るとは思うけど、どちらも強欲に見える、と言う人もいるとおもうよ。