「自分は空想の子供にしか興味がないと思っていたけど、現実の子供もいけるのかもしれない」と気付いてしまうことは、「自分は異性にしか興味がないと思っていたけど、同性もいけるのかもしれない」と気付くのと同程度にはありうるだろう。セクシュアリティというのは流動的なので、異性愛者がある日から同性愛に興味を持つように、非対人性愛者がある日から対人性愛に興味を持つことも、絶対に無いとは言いきれない。
一方、「自分は現実の大人にしか興味がない」という人は、そうしたセクシュアリティの変遷を経験することなく、「現実の子供に興味を持つ」ことができてしまう。「子供は好みじゃない」と嘯きながら、子供たちに「大人のフリ」をさせることによって、擬似的な「成人性愛」を脳内に実現することができてしまう。それが全ての対人性愛者たちの特性なんだよね。
対人性愛というのは、それ自体が差別や暴力・支配構造と不可分な欲望なのだから、現代社会ではもはや許されなくなりつつある。全ての対人性愛者たちは、自分たちの欲望こそがそのような構造を支えてきたのだと反省して、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、一日でも早く対人性愛を卒業することが望まれるよね。