もうとっくに義務教育とか終わってて、誰もこちらの学力を上げたりしようとはしない年。
玄米の話をしてて、思い出したのが宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」なのだけど、玄米四合ってどういう量なのだろうと思ったとき、詩全体の
『苦しくても慎ましく元気に生きていきたい』
という印象から、玄米四合は『お腹いっぱい食べられて幸せな量』ではなく『生きるのに最低限必要な量』なのかなと思った。
そうやって、全体の印象から一部の意味を推測することって気付けばよくあるのかもと思った。
もし全体の文が『百億兆円欲しい!!贅沢したい!!』みたいな雰囲気で、そこに「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ」と書かれてたら、その人にとっては『お腹いっぱい食べたいし野菜はあんまり好きじゃない』という解釈になるのかな、と思ったり。
今読解力の試験に関わってる人には「ここはこういう読解が正しい、常識」とかあるんだろうけど、中年社会人にはそんな『当たり前』を教えてもらえる環境はそうそうないので正解は知らない。