2023-01-22

断然を感じてしまったとき、どうしたらいいのだろう

仕事で君は本当こうすべきだったと言われて、本当にそのとおりの正論私自身も理解していたけれど、私にはもう気力も体力も時間もなくどうしようもありませんでしたと伝えた。

上司は私の言ったことを聞いて、本当に俺の言ってることがわかってる?君が今大変なのは踏ん張るべきタイミングで踏ん張れなかったからであり、君自身があとから大変なのだからわかっていたのならそのときで頑張るほうがおすすめだ、と言っていた。

そりゃそうだ。私だって頑張りたかった。でも頑張れなかった。そのときの私は客には詰められ、社内の人にもなぜか詰められ、だんご三兄弟の真ん中状態で、苦しくて、これは最適ではないとわかっていながら正しくはないが間違ってはいいからと自分を誤魔化して乗り切るしかなかった。

正しくなければ駄目だったが、正しくいられなかった。正しくないから苦しかった。

が、上司には私の苦しみなどどうでもいいわけで、正論理解してもらえないのがよくわからないようだった。

上司は私の話を親身に詳しく聞いてくれようとしたが、私が拙い言葉一生懸命説明したことを、すべて正論で上書きした。わかるよ、正論は正しいよね、と思った。

上司はまだ理解してくれる気があるらしく、また話を聞いてくれるらしい。でも正論で殴られるくらいならもう理解されなくていいので放っておかれたい。わかりあえない。これ以上わかりあうために頑張ることがむずかしい。わかられたいのかもわからないし、やっぱり私は正しくないのでわかられたらだめなのかもしれないし、正しくありたかたことを何度も確認させられるのもつらい。私は正しくない。

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