採用で地頭が良い人を採りたいよね、という文章を読んだ。そのために地頭の定義に取り組んだ過程が書かれているが、上手くいかなかったらしい。
そりゃそうだ、地頭が差す何かは、実態を持たない。みんなのそれぞれの理想が「地頭」という言葉でなんとなく括られている。
自分の経験で言えば、大学の名前と知能テストである程度、ラインは引けると思う。
しかし仕事で地頭の良い人を採りたい、と言う時、会社や仕事に貢献する形でその地頭の良さを発揮してほしい、という意味だ。
帳簿をちょろまかしたり私腹を肥やしたりするために発揮してほしいわけではない。
やるべきことだけやって、あとはサボるという姿も求めていない。
指示を聞き、最低限求められていることには応え、プラスアルファの結果を出し、他の人より早くこなし、何人分かの業務を一人でまかなえてほしい。
これが地頭の良さに求めている姿だと思う。
さて、地頭の良い人と、会社の利益のために努力できる人というのは、同じではないと思う。
より良い結果を求めて努力できる人間と、そうでない人間がいる。
地頭の良さというのが生得的なものではないか、と考えられるように、努力ができるかというのもまた、生得的なものだ。
つまり、たとえ「地頭の良さ」で採用を絞り込めたとしても、その地頭の良い人が、会社の利益のために努力してくれるかは別の問題だと考える。
学歴と知能を備え会社の利益のために努力できる人間を見極める手法、また、そのような人材が応募してくれる取り組みが必要だと思う。
守護「・・・」