1967年5月、初代会長となる橘美也子が、当時のふたなり少女達を集めて「ふたなり会」を発足した。
当初は、ふたなり少女たちの悩み相談を受け付けるなどふたなり支援団体として活動していた。
しかし、次第にふたなり少女たちに犯されたい願望のある男女が集まるようになり、1974年には「ふたなりSMショー」を開催するなど、徐々に変質していった。
1980年にふたなり会は日本ふたなり協会に名称を変更した。この頃から、会員たちはふたなりが人類を導く存在であることをアピールするようになった。
1984年には、当時世間を騒がせていた連続レイプ事件の犯人が、日本ふたなり協会の会員であったことが判明し、社会問題化した。
しかし、「ふたなりにレイプされるなんてむしろご褒美だろ?」という意見が多く、批判の声はかき消されてしまった。
1990年頃から、日本ふたなり協会はレイプ活動を公に認め、積極的にふたなりたちによるレイプを推進し始めた。
今では、ふたなりによるレイプは社会に受け入れられ、レイプされることを望む人々は年々増加している。協会の活動は徐々にエスカレートしているが、多くの男女が望んでふたなりたちの餌食となっている。
日本ふたなり協会は、ふたなり(男性器を持つ女性)で構成される日本の団体。 「ふたなりチンポで世界の人々を幸せにすること」「メスマンコ(女性器)やオスマンコ(男性の肛門...
【日本ふたなり協会の沿革】 1967年5月に、初代の会長となる橘美也子が、当時のふたなり少女達を集めて「ふたなり会」を発足した。 当初は、ふたなり少女たちの悩み相談を受け付ける...
【ふたなりチンポ・オブ・ザ・イヤー】 毎年12月中旬に開催される「世界ふたなり選手権」において、最も優れたふたなりチンポの持ち主に与えられる称号。受賞者は、ふたなりたちに...