今まで自分が「人に期待してない」とは思っていなかったんだけど、色んな人の言動や主張を見ているとどうも世間一般の人々は俺が思うより遥かに「人に期待して」いるんじゃないかという気がしてきた。
俗によく言われる「怒らない人は他人に期待していないだけ」というような話があって、あれも、よく分からないな〜俺はほとんど怒らないけど別に期待してないわけじゃないのに…と思ってたけれど、一般の基準では俺は確かに「人に期待していない」ということなのかもしれないと思うようになった。
そう思って色んな人をよく観察して考えてみると、上手く言えるか分からないけど、普通は「この人は自分を幸せにしてくれる」というような「期待」を持っているのかも…?と思えてきた。と言っても「私を幸せにしてくれる白馬の王子様」みたいな意味ではなく、「自分の理想像を共有して同じ方向に向かってくれる」とでも言うべきか、やっぱり上手くいえないんだけど白馬の王子様よりは主体性のある、でもある種の全幅の信頼のような何かを他者に託しているように見えなくもない。
ひるがえって、自分はたしかにそういった「期待」を他者に持つことは全く無い。家族や友人であっても同じで、どんなに親しい関係であっても、自分と同じ方向・自分の期待する方向を無条件で向いてくれるなんていうことは全く思わないんだよね。たまたま利害や好みが一致したらそういうこともあるかもね、くらいの感じだ。
この想像は正しいのかどうか、実際のところ普通の人はここまで他人に「期待」しているものなのか、だとしたらその感覚はいつどこで身につけたものなのかというあたりがとても気になっている。
それは結構すごいと思う。 期待するってある意味相手に依存するってことだから、期待しないってのは精神的に自立してることなんだと思う。
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