「人は他者と身体的な接触を通して、まなざしを共有することができる」と最近読んだ本にあった。感覚的には納得しやすい段落だった。誰かと手を繋いだら、気持ちがつながっている気がする。きっとこの文はそういうことを言っている。
でも泣きながら「ごめんなさい」と言い続ける彼女を見ながら、わたしはそう単純じゃないんだなと感じていた。わたしたちは手を繋いでいたけど、わたしに彼女の気持ちはわからなかったし、わたしの気持ちも彼女に伝わってはいないみたいだった。わたしは嬉しかったけど、彼女は苦しかった。どうして謝るのか分からなかった。どうして泣くのか分からなかった。分からないのは、多分わたしの経験や知識が少ないとかそういうことでは無い気がした。分からないのは、きっとただ、わたしたちが別々の人間だからだった。
それでもわたしたちは手を繋いでいた。夕方とは打って変わり静けさが包むサンサンロードで目的地に向けて歩調を合わせていた。ぽつぽつと会話をした。モノレールがすれ違う音を二人で聞き、電車より静かでいいねと話をした。寒くないか尋ねた。なんで泣いてるの?と聞いた。怖くない?と聞かれたから、何も怖くないよと答えた。
ベンチで抱きしめ、彼女の呼吸の音を聞いた。それでも分からなかった。多分、伝わりもしなかった。
別れた後彼女にメッセージを送ったけれど、丸1日返ってくることはなかった。次の日の深夜に、ひとこと「ごめんなさい」と届いた。手を繋いでも涙を流しても、それが何を伝えることもなかった。わたしたちの距離は、ただ、会った日以前よりも遠くなっていた。
うんこ
ユリの香りのする、な