2022-05-30

手を繋いでいても、泣いていても

「人は他者身体的な接触を通して、まなざしを共有することができる」と最近読んだ本にあった。感覚的には納得しやす段落だった。誰かと手を繋いだら、気持ちがつながっている気がする。きっとこの文はそういうことを言っている。

でも泣きながら「ごめんなさい」と言い続ける彼女を見ながら、わたしはそう単純じゃないんだなと感じていた。わたしたちは手を繋いでいたけど、わたし彼女気持ちはわからなかったし、わたし気持ち彼女に伝わってはいないみたいだった。わたしは嬉しかったけど、彼女は苦しかった。どうして謝るのか分からなかった。どうして泣くのか分からなかった。分からないのは、多分わたし経験知識が少ないとかそういうことでは無い気がした。分からないのは、きっとただ、わたしたちが別々の人間からだった。

それでもわたしたちは手を繋いでいた。夕方とは打って変わり静けさが包むサンサンロード目的地に向けて歩調を合わせていた。ぽつぽつと会話をした。モノレールがすれ違う音を二人で聞き、電車より静かでいいねと話をした。寒くないか尋ねた。なんで泣いてるの?と聞いた。怖くない?と聞かれたから、何も怖くないよと答えた。

ベンチで抱きしめ、彼女の呼吸の音を聞いた。それでも分からなかった。多分、伝わりもしなかった。

別れた後彼女メッセージを送ったけれど、丸1日返ってくることはなかった。次の日の深夜に、ひとこと「ごめんなさい」と届いた。手を繋いでも涙を流しても、それが何を伝えることもなかった。わたしたちの距離は、ただ、会った日以前よりも遠くなっていた。

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