2022-05-08

身近な人の死

父が死んだ。

訃報を聞いても、そうか。としか思わなかった。

遺体を見て、骨を見たら何か変わるのかと思ったけれど、遺体を見ても、火葬を終えて骨壺に骨を入れても、やっぱりあんまり心は動かなかった。

家に帰り、テーブルの父の定位置に骨壺がおかれる。それを数日見ていても、相変わらずだった。

こうまで心が動かないと、自分の中で父とはなんだったのか。と思う。

振り返ってみても、父に強い思いはなかった。

小さい頃は、朝学校に行く前に出ていって、眠るころに返ってくる人だった。

日曜、母から父に面倒を見てと渡されて、行く先は漫画喫茶パチンコ屋だった。

パチンコ屋で子供らしく騒いで店に怒られると、行先は漫画喫茶一択になった。

大きくなり、パソコンなどいわゆるIT機器自分ちょっと詳しくなると、わからないことを聞くわけでもなく、見えるところでうーん。とうなっている姿を度々見た。

幾度も、わからないとか教えてほしいとかやってほしいのならそういってね。というも、一度も教えてほしいとかやってほしい。と言ってくることはなかった。

から離れると接点はだんだんなくなった。

時々帰ってこいと母から連絡があり、実家に帰っても父は家をあけているか、母の怒鳴り声が聞こえてきた。

やがて帰って来いと言われない限り実家にも寄り付かなくなった。

そして、母が父と別居するという。

両親が別居して少ししたころ父が行方不明になったと連絡がきた。冬になり、どんどん寒くなる中、真冬には雪深くなる地方事故を起こした車だけ見つかった。その時に、おそらく死んでいるな。と思った。

その時も何も感じなかった。

そして春になり、訃報がやってきた。

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