迂闊な人は必ずいる。
よくあるのが「本で読んだからこの人も賛同者」とか、「この人もこういうことを言っていた」とか。
現実の署名活動の場合、末端にまでいきわたることは難しいのはわかっているので、表記する場合は取材のアポを入れてみるとかして、チェックが入ったりする。
なんでチェックするかって?
そういう善意の人を、犯罪者にしないためだよ。晒上げないためだよ。
もちろん、いたずらの可能性もあるし、悪意の可能性もあるけれども。
よくわかっていなくて、「なんかいいことだから」署名したとかは、活動の入り口としてはいいことで、そこから入る人もいるというのに。
その署名で迂闊があったら、注意してあげるのが大人の役割で、そのためのチェックだよ。
だからこそ名古屋市の手法化したアレは、左右の関係なく、この手の活動を棄損する行為で、もっと批判されるべきだし、ひどい話なんだよ。
署名活動っていうのは、声なき声を上げやすくするための社会活動なんだよ。
学歴も、年齢も、大人も子供も、もっと言えば、そういう事に興味のない人をも、関係なく参加できる、社会に参加できているという実感を含んだ、社会活動の手法なんだよ。
…だったんだよ。
だからさぁ。
頼むよ、もう。