とある子どもの面倒を見た。子どもはいただきますはしないといった。
その子どころか、子の父親・母親までもが家では食前の挨拶をしていないらしいと聞き及び、おどろきながらも、さもありなんといった風でもある。
netで調べるに、いただきますという食前の挨拶そのものが近年になってから普及した習慣らしいとある。おどろいた。そうであるなら、いつの日か食前の言葉が日常から消えてしまっても不思議はあるまい。たとえ消えないにせよ、今後はいただきます・ごちそうさまでしたの形骸化がより一層進むようになるかもしれない。
いただきますが消えうせてしまった食卓を想像してみる。別段困ることはなさそうであったが、その風景の中では、そこはかとなく茫漠たる不安に襲われている私がいた。
近未来の人々は、いただきますの代わりになんと唱えて家族で食事を始めるのだろうか。
そもそも家族で食卓を囲むというスタイルが、過去の遺物として失われゆくのだろうか。
益体もない焦燥に駆られながら、刺身に舌鼓を打ち、一抹の寂しさを覚える。
家畜を殺して食うことに感謝すること自体が異常だと思うわ 殺されるべくして殺されるものを殺すべくして殺す それ以上の関係性はないね
殺される動物達も「いや知らんがな、たま返せ」ってなるわな…
人間と同じ感情や知性があると考えるのは人間の奢りだから・・・
競馬で負傷した馬を安楽死させてる獣医も将来的に訴えられるのかな? 「不幸な遺伝子を持った犬・猫」の出生を批判していた団体も逆に批判されるようになるかも。
競走馬は生み出してる時点で虐待だから…
近親交配とかあたりまえの業が深い業界だよな