人を滅ぼすために大洪水を起こす敵 (神) に対抗するのが傲慢なのか?
信仰というのは人の内面に干渉して心安らかにいられるようにするものである。
どうあがいても対抗できない圧倒的な力に対して「そういうものだ」と諦めるのも安寧を得るひとつの方法ではあろう。
問題は、対抗できるものなのかどうか事前にはわからないということだ。
やってみて失敗するということを繰り返していつか克服するというのが人類の歴史である。
今の時点で何にでも対抗できるなどと思いあがるのは傲慢といえるかもしれないが、克服すべき問題に取り組み続ける姿勢は人として有るべき姿だと思うのだ。
バベルの塔が神に及ばなかったのならもっと高い塔を、もっと強靭な塔を作ろう。 乱された言葉でも団結できるテクノロジーを蓄積していつか神を打倒しよう。