アートが好きという人の中に、チームラボやライゾマティクスを見るのが好きという人がいる
私は彼らの作品に興味はないし、正直彼らが好きと言われると、
この人はあまりわかってない人なんだな。と反射的に考えてしまう。
なぜそう考えるとかというと、直感的な判断で言語化が難しいのだが、
チームラボやライゾマの作品には、奥行きがないと感じる
露骨に美しく、露骨に心地良く、それ以上の意味がない
20世紀美術が発見した快楽原則を借用した、大衆向けの視覚的マッサージのように思える
20世紀以降の美術は美の領域拡大を行ってきた
これが美しいと美しくないのギリギリの境界を探り、美術として扱える範囲を広げてきたし、美のど真ん中を目指すことに価値がない
古典的なモダンアートを愛する自分としては、相変わらずそれが正しい美術のあり方の一つという思考が抜けない
その基準で判断すると、チームラボやライゾマの作品はベタすぎて退屈なのだと思う。
Permalink | 記事への反応(1) | 12:53
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日本の芸術には政治色がもっと必要だと思う たとえばあいちの不自由展なんかはその後の騒動も含めて完璧な芸術だと思ってる
日本の芸術って外国のパクリでは