散漫なぼんやりとした妄想が、書くことでまとまったものになる。
形を持つことで、あたかもそれが自分の思想だったかのように思ってしまう。
幻聴とは自分の声が他人の声に聞こえ、妄想は自分の考えが他人の考えに思えることが
原因なのだと聞いたことがあるが、それはこうして文章を書くことでも生じるんだと思う。
書いてしまった文章は自分から離れたものだからだ(例えば、こうしてWebの1ページになってしまっている)。
本来の私には思想なんてそもそも無くて、書かれた文章も、自分の思考のランダムに噴出した単なる一端でしかない。
そんなのは偶然だから、自分の偏向ではないはずなのに、書かれたものに自分が従わなくてはいけない気がしてしまう。
次書く文章も今回の文章と整合を取ろうと偏ってしまう。自分の中に整合性があることは、自分をコントロールできた気分になれて心地よいから。