生まれに関していて本人がどうしようもない要素において人としての優劣が定められるものを差別と言う
って、反差別な人はよく言うけども
じゃあ生まれに関してない要素、趣味、思考、思想等で優劣をつけて人を見下すのは差別じゃないから良いのかって
そんなわけないと人として思う
どっちも思考のプロセスとして一緒で、ただ条件が違うだけじゃん
個ではなく集団を雑に捉え、こいつらは劣ってると定義したとこから差別心は始まってる
同じプロセスのものを方や『差別だから無くそう!』方や『これは差別じゃないからよし!』として
本当に差別ってなくなるの?って思う
私が思う反差別は、主語を小さくすること、集団ではなく個を見て行くこと
集団に印象を持つこともあるだろうけど、それが個々の問題を取り入れて藁人形に成長していって
やがて藁人形被せて人を見るようになって、正常に人間として認識できなくなるって、人として怖いし不毛で不幸じゃん
そしたらきっと差別ってより消えて行くと思うんだよね
個人を見ていくって対話していく時間や労力がいるから、たくさんの人間を相手にしないといけない人はそれができなくなるんだよ。とはいえ、言っていることは筋は通っていて同意は...
そうだね。集団で定義してしまうより個人個人との対話が大変なのは当然あるし、集団の相手をせざるを得ない人もいるよね。それは仕方ない。 でも集団相手でも、相手を人として気遣...
「反差別な人はよく言う」ってのは「あいつらはこうだ」にあたらないんですかねえ
内容に反して言い方悪かったね。ごめん。気をつける。