2020-09-04

anond:20200904232038

しかしたら、こう言った方がいいのかな。


LGBTという言葉いくら広まろうが、「私はLGBTである」という自認を強制されてはいけない。

「私はゲイではなく、ホモだ」とか「私はトランスジェンダーではなく、おかまだ」とか「私はそのどれでもなく、オネエだ」とか、そう自認する権利は各人が常に有している。


「フィクトセクシャル」という言葉も、まあそういうものと思えばいいかと。

議論」をするときには言葉必要だけれども、ただ「生きる」上では必ずしも必要とは限らない。

記事への反応 -
  • なんでも言葉をつくって区別したがるのがそもそもの過ちだと思うな

    • 「世界五分前仮説」とか、「亀がアキレスに言ったこと」とか、「この世に真実など一つもない」ことは大昔の人が既に指摘していることだけれども、「わからないからわからない」で...

      • 程度の問題だと思うんだよなー。 科学に関することなら些細なこともラベリングしつくして解き明かしていったらいいと思うが こころ、人間の内面の在り方みたいなレベルのことは細か...

        • しかし「アイデンティティの確立」というのも、それ自体にそれなりに意味のあることだと思うんだよな。 また、「フィクトセクシャル」という言葉が存在しなければ、社会システムに...

          • ほらーやっぱり囚われてるじゃん 他人の内面を決めつけて言葉で俎上にあげてやろうってクセが染み付いてる人たちの言葉で消耗してもどうしようもなくない? 科学は客観的に検証可能...

            • もしかしたら、こう言った方がいいのかな。 LGBTという言葉がいくら広まろうが、「私はLGBTである」という自認を強制されてはいけない。 「私はゲイではなく、ホモだ」とか「私はトラ...

            • 例えば、心理学という言葉はあまりにも乱用され過ぎているけれども、科学としての心理学は非常に客観的だよ。(まあ、あまりにも客観的なので「ただの統計」と揶揄されたりもするけ...

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