どれも自分で自虐で使うのには生暖かく、時にはより暖かく許されるけど、他人の罵倒に使うのはは他人を傷つけ、蔑視して、排除や差別につながる言葉。
それをカジュアルに使う人、自分の所属するソーシャルの潤滑油に使う人間、人格否定や属性攻撃、果てはいじめや様々な差別に使う人間もいる。そしてその反論に使う人間もいる。
他人にブスという人間も他人にキモいという人間も、私は三歩下がって敬遠してその人の品格を疑う言葉だ。
生理的嫌悪を躊躇なくまき散らせるのは人間の品性を疑うけど、気軽に使う人間は性別年齢社会的地位を問わずキリがない。
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